Mail from renya.com vol.003 1998/05/10
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http://www.renya.com/mailfrom/
01:renya.com更新状況
02:時計のページへのリンク
03:信州 諏訪大社 式年造営御柱大祭
04:Mail from renya.comの編集方針の変更
05:奥付
renya.com更新状況
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http://www.renya.com/rireki.htm
この1,2ヶ月、renya.com worldはほとんど更新されていません。大学の講義
が開始されてから、インターネットに対する時間が極端に減ってしまったため
です。それでも、いくつかは動きがあるので、それをお知らせします。
はじめて、バナーというものを作りました。現在、renya.comのトップページ
で見られるようになっています。renya.com worldへのリンクなどにお使いくだ
さい。
他にも細かい点で加筆修正されているページがあります。
時計のページへのリンク
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http://www.renya.com/komono/watch.htm
infoseekにおいて、腕時計というキーワードで、renya.comのページが引っか
かっているようです。このページはNIFTY SERVEのあるフォーラムで腕時計の話
題がでた時に作ったページで、今後も充実させていきたいと思っているページ
です。と、いうことで、腕時計に関する情報ならなんでもお待ちしています。
信州 諏訪大社 式年造営御柱大祭
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http://www.renya.com/suwa/onbasira.htm
御柱祭りは、数えで七年に一度、寅と申の年に信州(長野県)の諏訪一円を
挙げて行われる、俗に天下の三大奇祭や天下の大祭と言われる勇壮な祭りです。
四月のはじめに山出し祭が行われ、五月のはじめに里曳き祭がそれぞれ上社
・下社が三日づつ合わせて十二日間に渡って行われる。そして、諏訪地方にあ
る小宮、例えばそれぞれの地区の氏神様や道祖神様など諏訪地方にあるお社の
御柱祭りがこの一年の間に行われるののである。
御柱祭り(おんばしらまつり)というのは、正式な名称ではない。いや、正
確に言うと、正式な名称はこのお祭りにはないのである。有史以前より続くこ
の祭りは、日本最古の祭りの一つである。その為、時代や立場によってその呼
び名は異なる。現在、一般には「おんばしら」と呼ばれているが、「みはしら」
と呼ぶ事も多い。ただ、諏訪大社では「式年造営御柱大祭(しきねんぞうえい
みはしらたいさい)」と呼んでいてこれが比較的正式名称と呼べるものでない
かと思われる。
このお祭り、何をやるかと言えば、「奥山の大木、里に下りて神となる」と
鳴かれる通り、奥山の樅(もみ)の大木を氏子によって里の諏訪大社の4つの
お社までそれぞれ曳行(えいこう)、つまり長い綱を使って曳きながら、お社
の四隅に一本づつ建てるというものである。
御柱は多少差はあるが、それぞれ直径約1メートル、長さ約16メートル、重
さは約12トンの文字通りの大木である。
御柱祭りの始まりは有史以前まで遡り、はっきりしたことはわかっていない。
ただ、今よりおよそ1200年前の延暦23年に桓武天皇により、信濃の国の国祭と
なり、信濃の国を挙げてのお祭りとなった。ちなみに、今年平成10年戊寅年
(つちのえとらどし)のお祭りは、信濃の国の国祭となってから、丁度200回目
となる。
この事で御柱祭りは1200年前にはじまったと勘違いする場合も多々あるよう
であるが、御柱祭りそれ自体は桓武天皇に信濃の国の国祭と指定されるはるか
以前から脈々と行われていたのである。
1200年以上に渡って行われてきた御柱祭りだが、寅年および申年に御柱祭り
が行われなかったという記録は現在残っていない。つまり、この両年には時代
を問わず必ず御柱祭りは行われてきたのである。伊勢神宮の20年に1度の式年
遷宮も戦国時代の120年間は行われなかった。しかし、諏訪の御柱祭りは戦国時
代も諏訪氏の元であるいは武田信玄の元で、また江戸時代、天保の大飢饉の時
にも、そして昭和19年、若い男の多くが戦地へ赴いているときも学童を動員し
立派に16本の御柱を建てたのである。いや、苦しいときこそ大きな柱を曳くの
が諏訪の男の心意気だったのである。
長野オリンピック開会式において、建御柱(たておんばしら)が披露された
が、それに先だって「諏訪大社の御柱祭り」として「長野県の無形民族文化財」
に指定さした。日本最古のお祭りの一つでありながら、これまでこのような指
定を受けたことはなかった。その大きな原因は毎回のように死者が出ることで
ある。前回、平成4年のお祭りを含めて5回連続でなんらかの形で死者を出し
ているのである。
ちなみに、悲劇の平成4年の下社春宮一の御柱の木落としの瞬間、ボクもそ
の場にいたのだった。といっても、道路を挟んだ観客席にいたのだが、それで
も御柱の暴走を見て人々は慌てて動きまだ中学生でしかも背が低かったボクは
人の流れに飲まれてしまい、一瞬恐怖を覚えたというのを今でも覚えていいる。
無形民族文化財に指定されたこともあり、今回の御柱祭りにおいて、警察は
絶対に死者を出さないという断固とした決意で警備に臨んだ。その為一部の人
からは厳しすぎるなどの意見も出たが、多少厳しいのは仕方がないだろうと思
われる。
前回に引き続き今回のお祭りでも多くのマスメディアでこの御柱祭りは取り
上げられているが、ボクはどうもマスコミの取り上げ方には違和感を感じてし
まう。天下の奇祭というのを全面にだし、荒々しさを強調する。それも一概に
悪いとは言えないが、その時の映像でうまくいった映像はあまりでない。ちょっ
と言い方がよくないかもしれないが、失敗してしまった時の画ばかりを報道し
ている気がする。
昔から「人を見るなら諏訪の御柱」と言われているように、大勢の氏子と見
物人が訪れるこのお祭り。今回はオリンピックで紹介されたこともあって、更
に大勢の人が集まるとされています。人が大勢集まれば当然トラブルも起きて
くるでしょう。ただ、少なくともこのお祭りはツアーで来るものではないと思
います。旅行会社も今回にこりて、次回からは少なくとも日帰りのツアーとい
う形では組まないのではと思ってしまいます。
上社山出し祭の木落としと川越し、下社山出し祭の木落とし、それぞれの里
曳き祭での建御柱。これらが御柱祭りでの代表的な見所と言えるでしょう。
特に、下社の山出し祭での木落としは、傾斜角約35度、長さ100メートルにも
なろうかという急坂を一気に駆け下り、そのすごさは「諏訪の男の度胸試し」
とも言われ、剛勇さは天下に鳴り響いています。
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御柱祭りについて、マスコミがあまり取り上げない部分に焦点を当てて、書
いたつもりですが、今回の記事は、なんかかなり偏りのある記事になってしま
ったような気がします。
今後も御柱や諏訪大社については随時Webで追加訂正をすすめていこうと思
います。 大幅な更新があった時にはMail from renya.comでもお知らせしたい
と思います。
ちなみに、この文章は、下社里曳き祭に参加して東京に戻る混雑している電
車の中で書いています。
Mail from renya.comの編集方針の変更
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http://www.renya.com/mailfrom/
このMail from renya.comは、Web site renya.com worldの更新状況をお知ら
せするメールマガジンということでしたが、この度、実体にあわせて正式に不
定期発行の雑学メールマガジンとし、その中でrenya.comの更新状況もお知らせ
していくという形にしたいと思います。
奥付
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