近代五輪スタートから108年目。五輪は再び生まれ故郷ギリシャのアテネに戻ってきました。2004年8月13日開幕し8月29日の閉幕までに28種目301競技で争われます。
日本時間で2002年2月9日午前10時20分より第19回ソルトレーク冬季五輪の開会式がアメリカ合衆国ユタ州の州都ソルトレークシティで開催されました。冬季五輪史上最多の77の国と地域から2531人が参加して開かれる今回の大会はこの日から24日までの17日間に7競技・78種目が開催されます。
7競技というのはスキー、スケート、アイスホッケー、ボブスレー、リュージュ、バイアスロン、カーリングです。またスキーにはアルペン、クロスカントリー、ジャンプ、ノルディック複合、フリースタイル、スノーボードがあり、スケートにはスピード、フィギュア、ショートトラックがあり、ボブスレーにはボブスレーとスケルトンがそれぞれあります。
とても長い開会式なので、ざっとした見ていないのでいい加減な印象かもしれませんが、あまりアメリカのナショナリズムを盛り上げすぎるとナチス主催のベルリンの様になってしまうのではないかと不安になってしまいます。
ブッシュ大統領の開会宣言の後の五輪旗入場。その8人は米国初の宇宙飛行士のジョン・グレン、伝説のスキーヤーのジャンクロード・キリー、映画監督のスティーブン・スピルバーグの中に船木和喜が入っていました。
今回の大会の公式計時(Official Timer)はセイコー株式会社が担当します。これは1972年の札幌、1994年のリレハンメル、1998年の長野に次いで冬季大会で4回目、1964年の東京、1992年のバルセロナと合わせると五輪では6回目の担当となります。今回8会場で行われる今回の大会にセイコーでは約20トンの計時機材に約400人のタイミングチームが大会を支えます。また今回は2万年に1秒の誤差と言われる高精度GPSシステムを核としてすべての会場の時刻を自動的に同期させるオリンピックタイプを冬季大会ではじめて導入するとのこと。
今回のオリンピックの写真判定は1秒間に2000回の機能で行われています。この写真判定に使ったカメラと元になる計時機器はセイコーのヨーロッパ支社が中心となって開発しています。プロジェクト・リーダーはロバート・ウィルソン氏とのことです。
1000分の1秒を測定する計時に対して2000コマでは若干弱いのではないかなと意見もあります。技術的には3000コマも十分に可能だと言われていますが、今回はなぜやらなかったのかな。
2000コマということは、正式タイムの倍まで着順を決定出来るということ、3000コマというのは正式タイムの1.5倍まで着順を決定出来るということ。という考え方でいいのかな。
今回の大会からIBMがRersult(リザルト)からはずれます。過去40年間にIBMが参加しない五輪は事実上はじめての事。SLOC(ソルトレーク五輪組織委員会)は13社のスポンサーにチームで挑むことになります。技術面で多くの失敗があり、故障大会(Glitch Games)と揶揄された1996年のアトランタ大会を繰り返すことは出来ません。
参加企業はAT&T、Gateway、Microsoft、Sun Microsystems、Qwest Communications International、Lucentなど。それらの企業をまとめるのがニューヨークのSchlumbergerSema社とのことです。
長野五輪でスタートした1校1国運動はソルトレークでも受け継がれ、参加校はソルトレークシティだけではなくユタ州全域の約800の学校にのぼっているとのこと。
Salt Lake Cityはアメリカ北西部、ロッキー山脈の西の懐に抱かれたのユタ州の州都。日本との時差は五輪開催時で16時間。モルモン教の本拠があることでも知られています。長野県の松本市と姉妹提携を結んでいます。
現地時間9日に行われたフリースタイルスキー女子モーグルの予選・決勝で長野五輪金メダリストの里谷多英(25歳・フジテレビ)がタイムは34.23秒で24.85ポイントを獲得し銅メダルを獲得。上村愛子(22歳・北野建設)は24.66ポイントで6位入賞となりました。里谷や2大会連続のメダル獲得で日本人個人が冬季大会で2大会連続獲得は初めての事。また今大会日本選手メダルの第1号。金メダルは本命と言われていたノルウェーのカーリ・トロー(Kari Traa)選手が34.48秒の25.94ポイントで獲得、銀メダルはアメリカのバーク(Shandra Laoura)選手が25.06ポイントで獲得しました。
上村は得点が表示された時に観客席からブーイングがあがったが、本人もメダルを取れなかったけど満足しましたとのこと。
大会期間中毎日夜8時(日本時間の正午)から野外のオリンピックメダルプラザでメダルの授与式が行われます。競技会場ではフラワーセレモニーを行い、その後メダルの授賞式を市内で行う方法は長野五輪のやり方を踏襲したものです。
最初の表彰式はフリースタイルスキー女子モーグルですべてのメダリストのトップで銅メダリストの里谷選手が段上に立ちました。21世紀最初のオリンピックのメダルをジャック・ロケIOC会長によりかけられました。
現地時間9日に行われたノルディックスキー複合個人の前半・ジャンプで荻原健司は2度ともK点の90メートルで223ポイントとなり13位となっています。日本勢では高橋大斗の6位が最高となっています。
ノルディックスキー複合は前半のジャンプのポイントを今回の形では1ポイントで15秒。12ポイントで1分という形でタイムに換算して後半のクロスカントリー15キロのトータルで競います。ジャンプのポイントはK点を基準にした飛距離のポイントと5人の審判員が20点満点で上下を切り捨てて3人のポイントを合計したもの。それを2本飛んだ合計となっています。
現地時間10日にノルディックスキー複合個人の後半クロスカントリー15キロが行われ、トップから2分53秒差の13位からスタートした荻原健司(32歳・北野建設)は11位となり4大会連続入賞はなりませんでした。トップから2分差の6位でスタートした高橋大斗選手は12位などとなり、日本勢としては荻原の11位が最高でした。金メダルは3番手でスタートしたサンパ・フィンランドのライネン選手。フィンランド国旗を持ってのゴールイン。銀メダルは同じくフィンランドのヤッコ・タルス。銅メダルはオーストリアのゴットバルトが獲得。
現地時間10日にスキージャンプ個人ノーマルヒル(K点が90メートル)の予選と決勝が行われたが、船木和喜(26歳・フィット)は2回目に94.5メートルを飛びましたが、トータル243.0ポイントで9位に終わった。また原田雅彦(33歳・雪印)は91メートル、89.5メートルで232.0ポイントとなり20位に留まりました。
開会式の前に行われる予定だったワールドカップランキング15位以内の船木以外が挑んだ予選は悪天候のため、決勝の直前に延期されていました。
ジャッジに対する不信感、2002年2月12日。
この大会の前半はジャッジに対する不信感が随所に感じられる展開となってしまっています。フリースタイルスキー女子モーグルの上村愛子選手の得点、フィギュア・ペアのカナダの得点、スピードスケート男子500メートルのフィッツランドルフ選手のスタート判定、スノーボード男子ハーフパイプの中井孝治選手の得点など。これらの事例の多くの場合観客からブーイングが寄せられています。
ジャッジに対する信用が失われるというのはこれらの競技の根幹に関わってきます。選手達の頑張りを無駄にしない為にも公平なジャッジを心がけてもらいたい物です。また、日本のコーチ陣もおかしいところはおかしいとアピールするという毅然とした態度で望む必要があると思います。
現地時間の11日にスピードスケート男子500メートルの1回目が行われ、世界記録保持者で長野五輪の金メダリスト清水宏保(27歳・NEC)選手は34秒61で2位となりました。1位は34秒42でアメリカの27歳ケーシー・フィッツランドルフ選手となっています。長野五輪の銀メダリストのカナダの25歳ジェラミー・ウォザースプーン選手はスタート直後に転倒という波乱がありました。
この競技は2回滑り合計タイムで勝敗を競います。2回目は翌12日にインコースとアウトコースを入れ替えて行われます。
現地時間の11日にフィギュアスケートのペアのフリーの演技が行われ、ロシアのエレーナ・ベレズナヤとアントン・シハルリゼ組がショートプログラムからの首位を守り金メダルを獲得しました。この結果、旧ソ連とCISの時代を含めこの競技はロシア勢が五輪11連覇を果たしました。銀メダルにはカナダのペアが入りました。
2月12日の毎日新聞のウェブサイトによると11日にIOCがコスタリカのスキー距離の男子選手が1名使い出場登録をみとめた事を発表しました。この結果ソルトレーク五輪に参加のNOC(国内オリンピック委員会)は78に出場選手は2,527人となりました。
大会5日目となる現地時間12日午後1時(日本時間13日の午前5時から)からオリンピックオーバルで行われたスピードスケート男子500メートルの2回目が行われ、前日1位のアメリカのフィッツランドルフがトータル69秒23でトップを守り、金メダル。長野五輪の金メダリスト清水宏保は清水の2回目の記録は34秒65でトータル69秒26となり銀メダル。清水は2大会連続のメダル獲得、日本勢としてはこの500メートルはサラエボ大会以来6大会連続でのメダル獲得となります。
現地時間12日にスキージャンプ個人ラージヒルの予選が行われ、日本勢は予選免除の船木を除き3人が挑戦し、全員が決勝進出を決めました。
予選には66人が参加し、その内14人は予選が免除されているため、実際には52人で争われました。
前日の公式練習では原田選手が最長不倒の132メートル、船木が2位の129メートルを飛んでいました。
現地時間12日にフィギュアスケート男子シングルのショートプログラムが行われ、日本の本田武史(20歳・法大)が2位という好位置につけ、14日のフリーに日本男子初のメダル獲得をかけます。
大会6日目の現地時間13日にユタ・オリンピックパークでスキージャンプ個人ラージヒルの決勝が行われました。金メダルを獲得したのはスイスの新鋭20歳のシモン・アマンで、ノーマルヒルに続いてラージヒルも制しました。ノーマルヒルとラージヒルの2冠は史上2人目の事。
前回大会長野五輪の金メダリスト船木和喜選手(26歳・フィット)の1回目は126.5メートルで5位、2回目は121.0メートルで総合7位となりこれが日本勢最高でした。長野五輪銅メダルの原田雅彦選手(33歳・雪印)は1回目119.5メートル、2回目116.5メートルで総合20位。
現地時間13日にスピードスケート女子500メートルの1回目が行われ、長野五輪銅メダリストの岡崎朋美選手(富士急)が37秒77で従来の日本記録を0秒01更新して7位につけました。トップは37秒30で長野五輪金メダリストで世界記録保持者のカナダのカトリオナ・ルメイ・ドーン選手がたちました。
現地時間の14日にフィギュアスケート男子シングルの後半フリーが行われました。前半のショートプログラムで2位につけた日本の本田武史選手(20歳・法大)は順位を落とし4位となり、メダルを逃しました。それでも五輪での日本男子初の入賞となっています。 金メダルはSPで1位だったロシアの21歳アレクセイ・ヤグディンが獲得、銀メダルはロシアの21歳エフゲニー・プルシェンコ、銅メダルはアメリカの21歳ティモシー・ゲーブル。
2002年2月14日にISU(国際スケート連盟)は緊急理事会を開き、フィギュアスケートのペアにおいて採点に疑惑をもたれたフランスのマリレーヌ・ルグニュ審判員に違法行為があったことを認め、同審判員の採点を無効とする決定をしました。そして15日にIOC(国際オリンピック委員会)が理事会を招集し、カナダペアにも金メダルを授与する事を決定しました。その結果フィギュアのペアはの上位の成績は金が2、銀が0、銅が1という異例の自体になりました。
日本チームが参加する女子カーリングは出場10チームが総当たりのリーグ戦を行い、上位4チームが決勝トーナメントに進み、メダルを争います。
日本の男子チームは予選で敗退し、オリンピックに出場することが出来ませんでした。
中日となる大会9日目の16日に悪天候のために延期となっていたノルディックスキー複合団体の前半ジャンプが行われ、日本チームはフィンランド、オーストリア、アメリカに続く4位につけました。
フィンランドが967.5点、オーストリアが938.5点で44秒差、アメリカが905.0点で1分34秒差、日本が901.0点で1分40秒差、ドイツが893.5点で1分51秒差、チェコが892.0点で1分53秒差、スイスが863.0点で2分37秒差、フランスが846.5点で2分2秒差。
高橋大斗選手と森敏選手が90メートルを超えるジャンプをしましたが荻原健司選と手富井彦選手が80メートル後半に留まり、4位となりました。
現地時間の16日に行われたスピードスケート男子1000メートルはオランダのヘラルト・ファンフェルデ選手が1分7秒18の世界新記録で優勝、2位には同じくオランダのヤン・ボスで2大会連続の1、2フィニッシュ。3位にはアメリカのジョーイ・チークが入りました。
日本勢は今井祐介選手(メッツ)が1分8秒90で15位が最高。武田豊樹選手(SHI)は16位、堀井学選手(PJMジャパン)は22位、野明弘幸選手(長野体協)は転倒して44位と最下位でした。
現地時間の16日に行われた、スケートショートトラック男子1000メートルの準決勝1組目に出場した寺尾選手が他の選手の進路妨害をして失格となりました。
この判定は非常に不可解な物となっています。
現地時間の17日にノルディックスキー複合団体後半のクロスカントリーを行い前日のジャンプで4位につけた日本勢は順位を落として結局8位に留まりました。
金メダルはフィンランドが獲得、銀メダルにドイツ、銅メダルはオーストリアとなりました。
現地時間の18日にソルトレーク市内のホテルで行われた国際スケート連盟の理事会はスピードスケートのショートラック男子1000メートル準決勝で寺尾悟選手が失格した問題について日本チームがビデオテープを提出し、失格の取り消しを求めましたが、ビデオテープの確認を拒否し、抗議を退けました。
同日の理事会ではフィギュアスケートの問題についてがメインの議題となっていました。
現地時間の18日にスキージャンプ団体戦(K点120メートル)が4人が2回飛んで争われました。1994年リレハンメルの銀メダル、1998年長野の金メダルに続くメダル獲得が期待された日本勢は5位にとどまり1992年アルベールビル以来のメダルなしとなりました。金メダルを獲得したのは974.1ポイントでリレハンメル以来の金メダルとなるドイツ、銀メダルには974.0ポイントでフィンランド、銅メダルには946.3ポイントでスロベニアが入りました。
現地時間の20日に54年振りに正式競技に復活した男子スケルトンが行われました。日本勢としては越和宏選手(37歳・ホクト産業)の8位入賞が最高でした。
現地時間の22日にノルディックスキー複合スプリントの後半距離7.5キロが行われ、前日のジャンプ(ラージヒル1回)で4位につけた高橋大斗選手(21歳・北海道東海大学3年生)は6位入賞となりました。ジャンプで出遅れトップから1分54秒遅れの34位からスタートした荻原健司選手(32歳・北野建設)は33位に留まりました。
現地時間の21日にロシアが大会の残りの競技をボイコットする可能性を示唆するという事態に発展しました。
現地時間の23日にショートトラック男子1500メートル決勝で韓国の金東聖が1位でゴールしながらも米国のアポロ・アントン・オーノの進路を妨害したとして失格となった事にたいして韓国オリンピック委員会がスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴した問題でCASは抗告申し立てを棄却しました。21日にISUに提出した抗議も棄却されていた韓国は連続で事実上の門前払いを食った格好となっています。
現地時間21日にIOCが選手委員の投票結果を明らかにしました。その中で立候補していた荻原健司は10人の候補者中7位となり4位以内に入れず、落選しました。
アトランタ五輪で小谷実可子さん、シドニー五輪で松岡修造さんに続いての落選で日本としては3連敗となりました。
現地時間の24日に行われたアイスホッケー男子決勝がカナダとアメリカの間で行われ、5対2でアイスホッケー発祥の国カナダがアメリカを敗りこの大会最後の金メダルを獲得しました。カナダとしては1952年のオスロ五輪以来の金メダルとなります。
現地時間の2002年2月24日の夜に第19回冬季五輪ソルトレークシティー大会の閉会式がライス・エクルズ競技場で行われ、17日間に渡って行われた氷と雪の熱戦の幕がおろされました。
日本選手団としては三宮恵理子選手が開会式に続いて旗手を務めました。
オリンピック旗がイタリアのトリノ市長の手に渡りました。
メダル | 選手名 | 競技名 | 備考 |
---|---|---|---|
銅 | 里谷多英 | フリースタイルスキー女子モーグル | |
銀 | 清水宏保 | スピードスケート男子500メートル | |
2000年8月28日に2008年のオリンピック開催地の1次審査通過都市5都市、北京・パリ・トロント・イスタンブール・大阪が発表されました。2001年7月に最終開催地が決定します。
2001年7月13日にモスクワで行われた国際オリンピック委員会(IOC)の第112次総会においてIOC委員による2回に渡る投票の結果北京が2008年の夏期五輪開催地に決定しました。
平成11年(1999)6月19日に韓国のソウルで行われた国際五輪委員会(IOC)の第109回総会において2006年の冬期五輪の開催地はイタリアのトリノと決まりました。
トリノはイタリア北西部のイタリア第3の都市。古代ローマの植民地として建設され、19世紀にはイタリア王国の首都となったこともある。フィアット社を中心とした自動車産業の商工業都市。人口は周辺部も合わせて約220万人。
1972の札幌オリンピック以来26年ぶりの日本でのオリンピック。そしてこれは同じく札幌オリンピック以来のアジアでの冬のオリンピックとなる。
第18回オリンピック冬季競技大会長野1998(THE XVIII OLYMPIC WINTER GAMES,NAGANO 1998)
大会4日目の2月10日、スピードスケート男子500メートルで、清水宏保選手がオリンピックレコードで優勝し、金メダルを獲得した。
日本スピードスケート界にとって悲願だったオリンピックでの金メダルをはじめて手に。
大会5日目の2月11日、スキーノーマルヒルジャンプで船木選手が銀メダルを獲得した。原田選手は1回目トップだったが、2回目に風に恵まれず5位入賞となった。
大会5日目の2月11日、スキーフリースタイル女子モーグル決勝で、里谷多英選手が金メダルを獲得した。
この金メダルは個人としては日本人女子として初の快挙。
大会8日目の2月14日、スピードスケート女子500メートルで、岡崎朋美選手(富士急)が前日に自分自身がだした日本記録38秒55と同タイムで、見事銅メダルを獲得した。
スピードスケート女子短距離では日本人初のメダルとなった。島崎京子選手(三協精機)も5位に入賞した。
岡崎選手と島崎選手のレースでの100m地点でタイムが表示されなかったミスはIBMの責任かSEIKOの責任かどうなのだろうか。
大会9日目の2月15日、スキージャンプラージヒルで船木選手が金メダルを、原田選手が銅メダルを獲得した。
原田選手は135mラインを越える超大ジャンプを披露した。
大会9日目の2月15日、スピードスケート男子1000mで清水選手が銅メダルを獲得した。
大会11日目の2月17日、スキージャンプ団体戦で日本が悲願の金メダルを獲得しました。
色々な意見はあるが、個人としては、今回の長野オリンピックの開会式は大変素晴らしいものだったと考える。
1999年9月10日の信濃毎日新聞によると9月末で終了するNAOCの精算業務で長野五輪運営費の最終損益が51億9900万円になる事がわかった。黒字分は9割が長野県が管理する長野オリンピック記念基金に1割をJOCに配分する。基金は99年度以降毎年約4億円ずつ取り崩しているので10年程て使いきる計画。
古代ギリシャのポリス国家の市民は4年に1度アテネに集り技を競い合ったと言われています。この間はお互いに戦争をやめ、その競技大会に熱中したと言われています。その精神を現在に甦らせた近代オリンピックの生みの親、フランスの教育学者ピエール・ド・クーベルタン男爵(1863-1937)が1894年6月23日にオリンピック大会の定期的な開催とスポーツを通じて各国・各民族の親善や世界平和を推進する組織としてパリでIOC(国際オリンピック委員会)を設立。1896年4月6日にギリシャのアテネで第1回近代オリンピックが開幕。
スイスのローザンヌに本部が置かれているIOCは設立から既に1世紀以上が経過しました。そして、現在オリンピックはすべてのスポーツイベントの最高峰に位置しています。
日本人初のIOC委員は講道館柔道の創始者でもある嘉納治五郎です。嘉納は柔道のみならず様々なスポーツの普及に務めました。戦前、オリンピックを東京に招致する事に成功しましたが、一連の戦争の為に幻のオリンピックとなってしまいました。
戦後になり、再び東京にオリンピックが招致され、盛大に開催されました。そして、この時柔道が初めてオリンピックの正式種目になりました。この処置は当初東京大会だけの例外的処置と言われていました。IOC委員のせめてもの嘉納への恩返しだったのです。
1896 | アテネ | |
1900 | パリ | |
1904 | セントルイス | |
1908 | ロンドン | |
1912 | ストックホルム | 日本初参加 |
1916 | ベルリン | 中止 |
1920 | アントワープ | |
1924 | パリ | |
1928 | アムステルダム | |
1932 | ロサンゼルス | |
1936 | ベルリン | |
1940 | 東京 | 返上 |
1940 | ヘルシンキ | 中止 |
1944 | ロンドン | 中止 |
1948 | ロンドン | |
1952 | ヘルシンキ | |
1956 | メルボルン | |
1956 | ストックホルム | 馬術のみ単独開催 |
1960 | ローマ | |
1964 | 東京 | |
1968 | メキシコシティー | |
1972 | ミュンヘン | |
1976 | モントリオール | |
1980 | モスクワ | 西側ボイコット |
1984 | ロサンゼルス | |
1988 | ソウル | |
1992 | バルセロナ | |
1996 | アトランタ | |
2000 | シドニー | |
2004 | アテネ | |
2008 | 北京 |
1 | 1924 | シャモニー・モンブラン | 仏 |
2 | 1928 | サンモリッツ | スイス |
3 | 1932 | レークプラシッド | 米 |
4 | 1936 | ガルミシュパルテンキルヘン | 独 |
5 | 1948 | サンモリッツ | スイス |
6 | 1952 | オスロ | ノルウェー |
7 | 1956 | コルティナダンペッツォ | 伊 |
8 | 1960 | スコーバレー | 米 |
9 | 1964 | インスブルック | オーストリア |
10 | 1968 | グルノーブル | 仏 |
11 | 1972 | 札幌 | 日本 |
12 | 1976 | インスブルック | オーストリア |
13 | 1980 | レークプラシッド | 米 |
14 | 1984 | サラエボ | ユーゴ |
15 | 1988 | カルガリー | カナダ |
16 | 1992 | アルベールビル | 仏 |
17 | 1994 | リレハンメル | ノルウェー |
18 | 1998 | 長野 | 日本 |
19 | 2002 | ソルトレークシティー | 米 |
20 | 2006 | トリノ | イタリア |