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「待ってよっ、明清(めいせい)
「あれ稲美(いなみ)、お前も今帰りか」
「うん。ちょっと図書館で調べ物していたんだ」
「そうか」
「ところで…」
「うん」
「明清って、随分もてるんだね」
「ば、馬鹿を言うなよ。あいつらはみんな別に狙ってる奴がいるんだぞ」
「ふ〜ん。本当かな」
「決まってるだろ」
「だって、あんなに可愛い娘たちが自分の周りにいっぱいいるんだよ」
「だから、あいつらは他の野郎どもとうまくいきたいから、来てるんだろうが」
「たしかに、明清のタロット占いはよく当たるって評判だもんね」
「まあ、それほどでも、あるけどな」
「そういえば…」
「な、なんだよ」
「ボクって一度も占ってもらったことないよね」
「ああ」
「ねえ、一度占ってよ」
「駄目だ」
「えっ、なんで」
「駄目と言ったら駄目なんだ」
「どうしてよ。他の人達は占ってるじゃん。どうしてボクだけ駄目なの」
「どうしても。稲美だけは絶対に占わないって決めてるんだ」
「何が決めてるよ。ふんだ。明清なんて知らないっ」そういうと稲美は走っていった。
「おっ、おい」弱い声をかけはしたが、追いかけようとはしない明清だった。

「い〜な〜み〜ちゃん。随分不機嫌そうじゃないの」まだ二十代といっても通用するような若々しい女性がそう言った。
「えっ、そんなことありませんよ。おばさま」ウェイトレスの格好に着替えた稲美が答える。
 ここは明清の母親が経営する喫茶店。明清と幼馴染みの稲美はその母親とも仲が良く、五年前に自宅の一部を改造して喫茶店をはじめた時からここでウェイトレスのアルバイトをし、それは高校一年生となった今も続いていた。
「そうかしら。随分と機嫌悪そうだけど。ウチの馬鹿息子がなにかやらかしたの」
「い、いえ、別にそういうわけでは…」
「ふ〜ん。まあ、いいわ。ごめんね。私ちょっと出かけないといけないから、一時間ぐらいお店、お願いね」
「わかりました」という稲美の返事を待たずにその店主はもう店をでていた。

「は〜、そんなに機嫌悪そうかな〜。別にボクはあいつのことなんてどうとも思っていないんだから。別にボクだけ占ってくれなくたってそんなことは全然気にしていないのに」お客もなく静かな店の中で稲美はぶつぶつと言っている。
『カラ〜ン、コロ〜ン』店のドアが開く音がした。
「いらっしゃいま…」入ってきた人物を見て稲美の言葉は途中でとまる。
「よっ」軽く手を上げながら店主の息子、つまり明清が入ってきた。
「あなた何をしに来たのよ」
「何をしに来ってここは俺のウチだぞ。別におかしくないだろう」
「あなたのウチはこの裏でしょ。ここはおばさまのお店よ」
「じゃあ、お客として来た。このお店はお客を追い返そうというのかな」
「いっ、いらっしゃいませ。ご注文はなんでしょうか」
「ホットね」カウンター席に座りながら明清は言った。
「かしこまりました。しばらくお待ち下さい」そういうと稲美はカウンターの中に入っていった。

『カチャ、カチャ。ポコ、ポコ』
 無言で食器を洗っている稲美に同じく無言でカウンターに座っている明清。
 いつもとは違う無言の空気。
 小さな頃から、それこそ物心がつく前からいつも一緒にいた二人はそれでも不思議と話題に事欠くことなく会話していたが、時々無言で過ごす時がある。ただ相手がそこにいるだけで満ち足りた気分になる。そんな時である。
 しかし、今の沈黙はそのような満ち足りた感じではない。なんとなく張りつめたいやな緊張感を強いられる沈黙だった。

「ねえ。ボク今までは明清に占ってもらおうなんて一度も思ってなかった」食器を荒い終え、珈琲メーカーの前に立った稲美はポツと言った。
 明清はそれに対して何も言わない。
「別に占ってもらう必要なんてないと思ってたから。だから、別に占ってもらいたいなんて一度も思わなかった」いつになく力がない声で稲美は続ける。
「でも、今は占ってもらいたい。ボクの想いがどうなるのか。ねえ、占ってよ」
「駄目だ」明清はつぶやくように言う。
「何故、何故なの」
「お前だけは絶対に占わない。そう決めているんだ」
「何故なの。何故ボクだけは駄目なの」
「お前の未来なんて、俺、知りたくないから」聞こえるか聞こえないかという小さな声で明清は言った。
「えっ」
「だから、俺はお前との未来なんて知りたくないって言ってるんだよ」明清は一転して語調を強めて言った。
「それって、えっ、その、つまり」稲美は言葉になっていな言葉をつぶやく。
「あのな〜。お前もさっき言ったろ。別に占う必要なんかないって。俺もそう思ってるんだよ。そんな意味のないことはしたくないんだよ」顔を赤らめながら明清は言った。
「そうか、そうだよね、うん、そうだ」稲美もちょっと顔を赤らめながらそう言った。

『コポコポコポ』稲美が珈琲メーカーから出来上がったばかりの珈琲をカップに入れる。
「おまちどうさまでした」そう言って稲美は明清の前にカップをだした。
 何も言わずにそのカップに口を付ける明清。
 お互いに言葉はいらなかった。満ち足りた沈黙が二人を包んでいた。


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