平成22年への動き

記録が途中で止まってしまった平成16年への動きに続き平成22年への動きをまとめます。今回は最後まで記録していきたいな。

平成19(2007)年3月26日に上社本宮斎館で諏訪大社大総代会総会が開かれ次回平成22(2010)年庚寅(かのえとら)御柱祭の下社御柱御用材の仮見立てを5月12日に行う事を決めました。場所は下諏訪町の東俣国有林。前回の伐採地より若干上方になる見込み。当日の日程は後日となりますが、慣例に従い東俣の斧立(よぎたて)社に参拝後、春宮一之御柱をまず確認し、その後は近くの物から順番に確認します。確認については平成18年6月20日に関係者で行った下見に基づきます。約70人が所属する下諏訪町木遣り保存会は仮見立てを前に2月から週1回のペースで練習を重ねている。

御宝殿用材 平成19(2007)年4月上旬に秋宮境内を訪れると次回平成22年庚寅年御柱大祭の際の御宝殿造営の用材が置いてあり、更なる寄進を願う立て札がありました。御柱祭はその正式名称を式年造営御柱大祭というように、御柱の曳行と建立だけではなく、御宝殿の造営も大きな意味があります。御宝殿とは弊拝殿の奥にある建物で左右同じ形をした物が2棟あります。御柱はまさにこの御宝殿を取り囲む様に4角に建てられているのです。この御宝殿は御柱年毎に交互に立て替えられるのが本来なのです。その後、御頭祭の4月15日に上社本宮を訪れると、秋宮と同じように次回御柱祭の際の御宝殿造営の用材が置いてあり、更なる寄進を願う立て札がありました。ちなみに、本宮の御宝殿は弊拝殿の脇、布橋沿いに並んであるので、下社の奥まった感じとは違い、目の前で御宝殿を見ることが出来ます。

平成19(2007)年5月12日(日)に平成22(2010)年庚寅(かのえとら)年の諏訪大社式年造営御柱大祭に向けた下社御柱用材仮見立てが下諏訪町の東俣国有林で行われ、秋宮と春宮に曳き建てる8本の御柱の候補木が決定。諏訪大社の神職や大総代を始め、300人とも600人とも言われる氏子が参加した。従来御柱には曲がりや傷などが少ない大木が選ばれてきたが、今回は諏訪大社の平林成元宮司(66)の挨拶において資源は有効であり見かけに難があってもと言われた通り、秋宮四之御柱の候補木は落雷で頂部が欠け、また根本で分かれている木も候補木となった。

下社の仮見立てでは諏訪大社の平林成元宮司が参加の氏子に量り諮り、御柱の候補木が決められる。 春宮一之御柱候補木は目通り3.30m、高さ約21m。伐採担当は下諏訪町第1区。 秋宮四之御柱候補木は目通り2.54m、高さ約15m。 春宮四之御柱候補木は目通り2.30m、高さ約20m。多少曲がりがある。伐採担当は下諏訪町第10区。 秋宮一之御柱候補木は目通り3.30m、高さ約22m。少し曲がり。今回の最大木。伐採担当は下諏訪町第7,8,9区。 春宮三之御柱候補木は目通り2.57m、高さ約21m。若干曲がり。伐採担当は下諏訪町第3区。 春宮二之御柱候補木は目通り2.70m、高さ約17m。三股に分かれている。伐採担当は下諏訪町第6区。 秋宮三之御柱候補木は目通り2.67m、高さ約16m。上部が二股になっている。伐採担当は下諏訪町第4区。 秋宮二之御柱候補木は目通り2.80m、高さ約17m。根本が二股。伐採担当は下諏訪町第2区。 奥山の大木、里に下りて神となる。山の神様、お願いだ。 浄財を尊ぶ。自然を大切にする。 曲がりがあるということで、思い出されるのは前々回の春宮一之御柱、その木落しである。山の神様からの授かり物に対して真っ直ぐな取り組みが求められる。

平成20(2008)年3月19日に諏訪大社大総代会が本宮の参集殿で行われ、次回2010年の上社御柱祭の御柱用材について2004年と同様に北佐久郡立科町内の山林を調達の候補地とする方向を確認。

平成20年4月吉日付けで諏訪大社宮司平林成元氏より平成22年諏訪大社式年造営御柱大祭に向け旧慣による下社御柱御用材本見立ての儀の案内が関係各所へ送られました。平成20年5月11日の日曜日の午前6時に秋宮を出発。斧立社を巡察後、東俣国有林内にて見立てを行うとのこと。

平成20(2008)年9月19日に平成22(2010)年庚寅(かのえとら)年諏訪大社式年造営御柱大祭に向けた上社の御柱用材の仮見立てが北佐久郡立科町の蓼科山国有林内で行われました。上社の御柱用材は前々回が下諏訪の東俣国有林、前回が立科町有林内に続き3回連続。東信森林管理署管内からは初めてのこと。今回の参加者は自然環境保全地域ということで人数制限がなされ、担当8地区毎に100人以内、他関係者合わせ約900人。目通り3.25mの本宮一から順番に8本の候補木を選んだ。本見立ては2009年6月19日を予定。仮見立てが行われたの順に目通り周囲は次の通り。本一は3.25m、本二は2.75m、前三は2.45m、前二は2.59m、前四は2.38m、本四は2.45m、前一は2.80m、本三は2.45m。

平成20(2008)年12月4日に行われた諏訪大社の大総代で平成22(2010)年に行われる御柱祭の日程が決定承認され、発表されました。山出しは上社が4月2日から4日まで、下社が4月9日から11日まで。里曳きは上社が5月2日から4日まで、下社が5月8日から10日まで。また上社の伐採を平成22年の3月11日に行う事も合わせて決定。

信濃國一乃宮・諏訪大社
平成二十二年庚寅年
式年造営御柱大祭
四月 山出し祭 ・ 五月 里曳き祭
上社 02 03 04 ・ 02 03 04
下社 09 10 11 ・ 08 09 10

2009年3月20日から諏訪大社上社本宮の西宝殿の解体工事が始まる。今回解体される西宝殿は2006年7月の豪雨災害の土石流により押し流された岡谷市湊3にある船魂社の本殿として移築される。5月10日には上棟式を行う予定。新しい西宝殿は2010年に着工し6月上旬に竣工式を行い、6月15日には遷座祭が行われる。

平成4(1992)年・壬申の年と平成10(1998)年・戊寅の年の大きな違いは木落としであると思います。前者はそのほとんどが一回で下まで下りましたが、後者は一本を除きすべて坂の途中で一度止まってしまいました。それを受けて、2004年と2005年に下社木落とし坂は改修工事が行われています。前回のお祭でほとんどの柱が止まってしまった部分約800平方メートルに土を入れ、直線的にし、柱がスムーズに下まで下るようにしました。また坂の両側に階段を設置しています。

2009年4月23日に諏訪地方観光連盟プロモーション戦略局御柱部会が下諏訪町役場で部会を開き、公式ポスターのデザインを決定。前回の上社建て御柱と下社木落の写真を使う。前回の3種類から今回は1種類とし、A1判を1500枚作成する予定。合わせてA4判24ページのパンフレットは150,000部の作成を予定。

平成21(2009)年5月3日、翌年に迫った式年造営御柱大祭に向け下社の御柱用材伐採が下諏訪町の東俣国有林で行われた。下諏訪町各地区伐採委員会を中心に氏子が参加した。午前7時頃に関係者が斧立(よきたて)社で神事を行ってから、入山。午前9時頃から各柱で斧入れの儀が行われてから、伐採作業が始まった。秋宮四乃御柱は倒れた際に折れた為、後日切り直しとなった。なお、大正初期の抽選で決まっている各御柱の伐採担当は、春宮一が第1区、春宮二が第6区、春宮三が第3区、春宮四が第10区、秋宮一が第7,8,9区、秋宮二が第2区、秋宮三が第4区、秋宮四が第5区となっている。各御柱の目通りは春宮一が303センチ、春宮二が270センチ、春宮三が257センチ、春宮四が230センチ、秋宮一が330センチ、秋宮二が280センチ、秋宮三が267センチ、秋宮四が254センチ。かなりの自重がある大木の伐採ですから、8本が8本とも問題なくというのはなかなか難しい物です。前回は春一、前々回では秋三が切り直しとなっています。面白いことに報道によって参加した氏子の人数が異なっています。地元紙で850人、全国紙地方版で1500人。地元紙は諏訪大社の発表をベースとしている模様。

5月6日にA4タイプのパンフレット裏表版を入手しました。表側は光り輝く空に向かって建つ御柱と御柱祭の文字を中心に右下は上社の建て御柱、左下には下社の木落しの写真を載せ、その上に上社と下社それぞれの日程を記しています。裏側は御柱祭と諏訪大社の概略説明、日程の概略説明、そして諏訪への地図が掲載されています。

平成21(2009)年5月17日に原村中央公民館において御柱宣伝大使の公開コンテストが諏訪地方観光連盟によって行われ、諏訪6市町村の21歳から52歳までの19人の応募の中から3人が選ばれました。選ばれたのは岡谷市川岸の日岐真理子さん(22)、諏訪市豊田の武井美緒さん(23)、茅野市豊平の山田仁衣奈さん(23)の3人。5月24日の高島城祭でのデビュー後、30日と31日に横浜市で行われる観光展に参加する。任期は2011年3月まで。

平成21(2009)年5月20日に諏訪大社は下社木落とし坂頂上付近の一部改修工事を行うにあたっての安全祈願を実施。坂の手前の平坦部に布いた長さ約4メートル、直径約15センチの丸太24本を撤去する。

平成21(2009)年5月25日に下諏訪町の東俣国有林で秋宮四乃御柱の本見立てが行われました。選ばれた樅の木は目通り周囲240cm、長さ27メートル。6月11日に下諏訪町第5区の奉仕により伐採される予定。

平成21(2009)年5月27日に金山講と薙鎌の会が諏訪大社上社本宮に8体の薙鎌を奉納しました。これは6月19日に行われる上社御柱用材本見立てで決定した御柱用材に打ち込まれます。1990年に見つかった明治17(1884)年の原寸図を元に製作した銅製で長さは約31センチメートル。今回奉納された8本以外に31本も別途奉納され、分社の御神体などになる。

伐採作業について。奥山の大木里に下りて神となる。神事に続いて関係者によるよき入れが行われ、それが終わるといよいよ本格的な伐採作業の開始です。倒す方向にに受け口を作ります。これはのこぎりを使い下刃を作り、その下刃を底辺として、よきを使って三角形を作ります。受け口が完成すると次は追い口作りです。受け口と反対方向にのこぎりを使い切り込みを入れていき、その切り込みへ、掛け矢そして袋矢を入れ込んでいき、倒します。今年中に業者により仮搬出が行われ、東俣大平の棚木場に並べられる。当然旧来はこの仮搬出も氏子の奉仕により行われていましたが、下社の場合、大正15年からは業者によるものとなっています。

平成21(2009)年6月11日に富士見町商工会は翌年の御柱祭に向けた町内統一はっぴのデザインを決定。青色を基調にした4色で太陽と富士山、スズランの花と曳き綱を描く。

平成21(2009)年6月15日に諏訪地方観光連盟の御柱祭情報センターによるウェブサイトが来年に迫った次回のお祭に向けリニューアル。御柱祭情報センターは諏訪地方観光連盟が4月に下諏訪町役場に開設。御柱祭の情報を1箇所に集め、発信していくことを目的に設置されています。本祭はPRするけど、これはいっぱいいっぱいと考えている。御柱を機にいかに諏訪に来てもらうのか。そう考えると重要なのは小宮祭。選ばれる観光地としてお客さんに帰ってきてもらう取組を目指す。

平成21(2009)年6月13日から15日にかけ諏訪地方観光連盟が旧東洋バルヴ諏訪工場跡地に準備している御柱体験ひろばに用意する体験御柱の伐採、搬入、皮むきが行われる。秋葉山の習焼神社社有林から伐採された柱は上社用が長さ14.3メートル、目通り周囲3.25メートル、下社用が長さ15.25メートル、目通り周囲3.0メートル、体験用が長さ10.2メートル、目通り周囲1.9メートル。それぞれメドデコ、御幣というそれぞれの特徴を明確化する。オープンは7月12日を予定。

平成21(2009)年6月11日に秋宮四之御柱の再伐採が下諏訪町第5区の奉仕によって氏子ら約120名が参加し東俣国有林で行われました。伐採された御柱は目通り周囲2.4m、高さ27m。倒れる際に方向が想定より右側に90度程ずれ、2名が転倒するなどで足首と手にそれぞれ軽い怪我をしたとのこと。

平成21(2009)年6月19日に上社の本見立てが北佐久郡立科町の蓼科山国有林で7本及び町有林1本で行われました。諏訪大社の神職や氏子など800人から900人が参加。本宮一之御柱候補木から順番に木札を取付、薙鎌を打ち付けていきました。御柱用材の諏訪地方以外からの調達は江戸時代以降では前回に続く2回目。御小山以外からの伐採は3回連続。伐採は抽籤後の翌年3月11日の予定。

上社の本見立ては集合した後、まずは諏訪大社の平林成元宮司が挨拶し、その後、森の中を一列に進み、本宮一之御柱から順番に定めていきました。それぞれの柱の前で平林宮司が氏子に問いかけ、その賛同を受けて、木札を巻き付け、その上に平林宮司が薙鎌を打ち込みました。選ばれた柱の目通り周囲はは、選んだ順に本一が336cm、本二が275cm、前三が245cm、前二が257cm、前四が233cm、本四が244cm、前一が244cm、最後の本三が245cm。

平成21(2009)年7月12日に諏訪地方観光連盟による御柱体験広場のオープニングセレモニーが旧東洋バルヴ諏訪工場跡地で関係者等約300人が参加して行われました。

平成21(2009)年7月18日から全3日間に渡り開催された御神木見学会は諏訪大社上社御柱祭安全対策実行委員会が許可などを取り実施され、初日の約800人を含み、全体で約2400人が参加しました。

平成21(2009)年8月3日の午後7時から下諏訪町総合文化センター小ホールで茅野市在住のシンガーソングライター美咲さんの新曲「御柱」の掛け声などの公開録音が行われました。下諏訪町木遣り保存会、青木下諏訪町長などが参加。林顧問の木遣り。この曲は下諏訪町木遣り保存会の小林茂雄さんが作詞し、新聞などで作曲を募集したところ、美咲さんが手を上げていた物。8月16日に秋宮で奉納演奏の予定。

平成21(2009)年8月5日に岡谷市御柱祭祭典委員会の設立総会が開かれた。会長に今井竜五市長、委員長に諏訪大社大総代の宮坂隆平氏を選任。

平成21(2009)年8月16日の午後4時半頃にシンガーソングライターの美咲さんと下諏訪町木遣り保存会の2名によるみんなの曲「御柱」の奉納演奏が行われました。

平成21(2009)年8月30日に北安曇郡小谷村中土の大宮諏訪神社の薙鎌奉献祭が行われました。同祭は諏訪大社の御柱祭の前年に行われる神事。3回目となる下諏訪町からの薙鎌を知る会と下諏訪町木遣保存会も奉仕に参加。翌31日には北安曇郡小谷村戸土の小倉明神で薙鎌打ち神事が行われました。どちらの神事にも諏訪大社の平林成元宮司が参加しています。

平成21(2009)年9月9日にシンガーソングライター美咲の新曲「御柱」の発売が開始されました。

平成21(2009)年9月6日に諏訪地方観光連盟はシンセサイザー奏者の喜多朗氏を招いたトークイベントを諏訪市の御柱体験ひろばで開催。喜多朗氏は1998年にGAIA・ONBASHIRAというアルバムを発表している。

平成21(2009)年9月14日に諏訪地方観光連盟は諏訪市役所で御柱祭についての県内向け記者発表会を開催。引き続いて9月17日には東京都千代田区の日本記者クラブで県外向け記者発表会を開催。小宮祭での観光客受入が23神社と発表。年間観光消費額600億円の目標を掲げる。上社木落しに有料観覧席を初めて設ける事も発表。

平成21(2009)年9月23日に諏訪地方観光連盟は模擬御柱を神奈川県横浜市で開催されている横浜開港150年祭の会場に持ち込み、曳行を体験するイベントを開催しました。御柱祭inヒルサイドは諏訪市の氏子が参加し曳行体験を午前の午後の2回行いそれぞれ250人が参加し100mを1時間かけて楽しみました。それに先駆け21日には東京都六本木で富士見町の氏子が参加し御柱祭in赤坂サカスが行われました。こちらには下諏訪町から富部の長持ちも参加しました。

平成21(2009)年10月7日に諏訪市小和田の八剱神社斎館で諏訪市上諏訪地区奉賛会の結成総会が約100人が参加し開催された。規約や役員構成や予算などを決める。予算は約1500万円。

平成21(2009)年10月29日に下諏訪町東山田の有志と第七区御柱祭実行委員会が下社春宮東御宝殿の御用材を諏訪大社へ寄贈する奉納式を同町西弥生の金作木材貯木場で行う。御宝殿は里曳き祭前に完成予定。前回の御柱祭では春宮、秋宮、本宮の御宝殿の建て替えを行わず屋根のふき替えだけだった為、1998年以来の建て替えとなる。

秋から春を待つ八本 平成21(2009)年11月7日より下社御柱用材の棚木場への仮搬出作業が開始。この作業は下諏訪町の六協と岡谷市のマルモリ宮坂土木のJVが担当し、19日には最初の御柱として秋宮一乃御柱が棚木場に到着。そして21日には8本全ての御柱が棚木場にそろい、仮搬出作業は終了しました。

平成21(2009)年11月21日に秋宮境内参集殿にて下諏訪町木遣り保存会が呼びかけた木遣りに関する平林宮司の講話を聞く会が行われ諏訪地方に9つある木遣り保存会全てから合わせて約90人が参加しました。

平成21(2009)年11月25日に有志が集まり来る29日に茅野市役所で行われる御柱検定に向けた勉強会が行われました。御柱検定は諏訪地方観光連盟が主催し御柱祭パンフレットを基に100問が出題され、その内8割以上の正解で合格というもの。そこでパンフレットを教材にした事前勉強会が行われました。

平成21(2009)年11月29日に諏訪地方観光連盟による初の御柱検定が茅野市役所で行われました。制限時間1時間30分、全100問の3択問題に148人が挑みました。合格基準は80パーセント以上。合格発表は12月初旬の予定。

平成21(2009)年12月2日に御柱祭下社三地区連絡会議(上諏訪、下諏訪、岡谷3地区の大総代38人、宮坂隆平会長)が秋宮で会見を開き、下社山出し祭の曳行予定時間を発表しました。木落としの日程は初日に春宮四と春宮三と秋宮二の3本、2日目は秋宮四と春宮一の2本、最終日は春宮二と秋宮三と秋宮一の3本と前回とほとんど同じ。また曳行時間遅れへの対策と安全面の配慮として午後5時以降の木落とし中止、木落とし坂上でのセレモニー時間(追掛綱が切れる状態になってから切るまでの時間)の30分制限、引き綱長さ最長150mの徹底、曳行間隔100m(前の御柱の追掛綱から後ろの御柱の旗持ちまでの距離)を目安などを講じるとのこと。

平成21(2009)年12月3日に諏訪地方観光連盟は御柱検定の結果を発表。受験者数148人中合格者は142人で合格率は95.9パーセント、平均点は93.1点だった。

平成21(2009)年12月5日に秋宮神楽殿にてa-moreが御柱祭をテーマにしたオリジナル曲を2曲、奉納演奏しました。いずれも仮タイトルで約束の丘と熱い想いというロック調の曲。大石ひろのりさん(32)と小西りゅうじさん(26)によるa-moreは11万治の石仏の歌である万治の風を下諏訪商工会議所の依頼で作詞作曲し、11月1日の石仏建立350周年祭で披露していました。

平成21(2009)年12月6日に諏訪大社大注連縄奉献会により諏訪大社下社秋宮神楽殿の大注連縄が掛け替えられました。この大注連縄は御柱祭の前年に掛け替えられています。大注連縄は長さ7.5m、胴回り4.5mという巨大な物。秋宮の正面としてで参拝客を迎えます。

平成21(2009)年12月6日に富士見町木遣り保存会と富士見町大総代会が主催する第8回富士見町木遣りコンクールが富士見町町民センターで行われました。富士見地区と東3地区(落合、境、本郷)に分けて行われ、大人28人、子供66人が参加しました。

id:renya 平成21(2009)年12月12日に茅野市宮川の木落し公園の竣工式が行われました。同地は上社御柱街道の途中にある見せ場の1つ、木落し坂。茅野市が2006年から総工費約4億2400万円をかけて都市計画による公園整備事業として造成。平均傾斜約26度の坂の長さは従来の17メートルからほぼ倍の32メートルになりました。

id:renya 平成21(2009)年12月19日までの予定で木落し坂下の砥川の観覧席確保のため瀬回し工事を下諏訪町御柱祭実行委員会が実施中。シート敷きで約2000席を確保出来る見通し。

平成21(2009)年12月15日に上社本宮で西御宝殿の御用材奉納奉告祭が行われました。奉納したのは木曽郡上松町の池田木材。22日には地鎮祭が行われる。

平成21(2009)年12月16日に下諏訪観光協会は下諏訪駅前広場の長野冬季五輪開会式で披露した御柱の建て直しを完了。1998年4月に駅前に建立以来2回目の修復となる今回は地中で腐食した2mを切り落とし、当初より3.5m短い9.5mとなった。

平成21(2009)年12月22日に上社西御宝殿の地鎮祭が行われました。縦横5.4メートル、高さ6.5メートルの茅葺きの建物である御宝殿ですが、前回の杉材から今回は檜とサワラをメインで建てられます。

平成21(2009)年12月25日に下諏訪町商工会議所青年部がオリジナルの御柱商品を発表。初めて実施した前回好評だったひょうたん型の飲み物入れとバックに加え法被をモチーフにしたリュックなどを販売します。

平成22(2010)年1月2日から上社本宮で抽籤祈願が始まりました。初日には原村・茅野市泉野、茅野市豊平・玉川、茅野市宮川・ちの、富士見町富士見・茅野市金沢、諏訪市四賀・豊田の5地区が正式参拝を行いました。今回は大総代会で事前に日程調整を行い、44日の期間中、原則1日5地区までとしました。

平成22(2010)年1月17日に秋宮参集殿において下諏訪町木遣り保存会の勢揃い式が行われました。小学生から80歳代までの男女75人で構成される同会員の内約60人が参加し、平林宮司から祈祷を受けたおんべを受け取りました。

平成22(2010)年1月19日に御柱祭実行委員会観覧席部会による木落し坂下の砂川河川敷の現地視察が行われました。ここには指定席3000席と自由席3000席。またステージも設ける計画。1月21日に部会が記者会見を開き、観覧席の販売方法などを発表する計画。

平成22(2010)年1月21日に下諏訪町御柱祭実行委員会観覧席部会が下諏訪町役場で記者会見を開き、下社山出し祭の木落し坂下の砂川河川敷などに設置する有料観覧席の販売方法と有料観覧席と無料観覧席の座席数などを発表しました。砂川の右岸に有料観覧席3000席、当日有料席200席、無料観覧席6200席が用意される。有料観覧席はA席からF席までの6ブロックに分けて販売。価格は1500円から4000円。2月1日から19日の期間に往復葉書で応募を受け付ける。応募多数の場合は抽籤を2月25日に行う。半分の1500席は地元枠とし、地元6市町村からの応募を優先する。問い合わせ先は下諏訪町御柱祭実行委員会(0266-27-1111)。また http://www.onbashira.jp にも概要を掲載の予定。

平成22(2010)年1月24日に第10回記念木やり日本一コンクール上社の部が茅野市民館マルチホールで開催されました。大人の部は17歳から86歳までの109人、子供の部に51人が出場。大人の部の最優秀賞は茅野市の神林守夫さん(62)が受賞。

平成22(2010)年1月27日に諏訪大社上社御柱祭安全対策実行委員会は上社山出し祭の木落しと川越しの日程を発表しました。山出し祭2日目の4月3日に本宮一、前宮一、本宮二、前宮二の4本が木落しされる。本宮一は午前10時に落とし、1時間毎に落としていく。3日目の4月4日は本宮三、前宮三、本宮四、前宮四の順に落とす。本宮三は午前10時の木落し。斜面の角度や硬さで安全面に心配があり、追い掛け綱の斧での切断による一気の木落しを禁止する。伝統的に斧での切断をしていた宮川・ちのと北山・米沢・湖東も同様。2日目に木落しした4本はその日の内に川越しも行い、御柱屋敷へ曳き着ける。

平成22(2010)年1月31日に第10回木やり日本一コンクール下社の部が下諏訪総合文化センターで開催されました。3歳から82歳までの全126人が大人の部に107人、子供の部に19人が出場。大人の部の最優秀賞は諏訪市の藤森国光さん(67)が受賞。

平成22(2010)年2月7日に下諏訪のトップを切って久保三町によるの綱打ちが行われました。

平成22(2010)年2月10日に諏訪市役所で諏訪市の氏子の統一法被が発表される。前回の黒地に引き綱が書かれた基本を踏襲。絵柄を若干変えただけということで、前回の法被も違和感なく使う事が出来るようになっています。

平成22(2010)年2月10日に下諏訪町御柱祭実行委員会は山出しと里曳きの際のシャトルバスの運行日程及び臨時駐車場開設状況を発表しました。

平成22(2010)年2月15日に上社の曳行担当地区を決める抽籤式が本宮で行われました。8地区の抽籤総代は参集殿で行われた事前のくじ引きで決まった順に雪が降りしきる中、弊拝殿に上り、順くじを引き、続いて本くじを引いていきました。その結果、本宮一之御柱の曳行担当は湖南・中洲、本宮二之御柱は落合・境・本郷、本宮三之御柱は宮川・ちの、本宮四之御柱は北山・米沢・湖東、前宮一之御柱の曳行担当は四賀・豊田、前宮二之御柱は原・泉野、前宮三之御柱は金沢・富士見、前宮四之御柱は豊平・玉川と決まりました。曳行分担の抽籤は明治時代に入ってからと言われていますが、現在の曳行分担の枠組みは明治35(1902)年からで今回が19回目。本宮のお膝元、湖南・中洲が本宮一之御柱を担当するのは初めての事。前回に引き続き今回も斎庭へは各地区ともに木遣り師3人を含む83人に制限しました。境内にはおよそ1500人の氏子が詰めかけました。ちなみに本籤を引くタイミングが丁度正午過ぎということで、テレビの前は黒山の人だかりで、担当が決まるたびに大きな歓声が上がりました。特に本籤5番、豊平・玉川が前宮之四と発表された時は動揺のような叫び声が上がりました。

本宮一之御柱湖南・中洲 前宮一之御柱四賀・豊田
本宮二之御柱落合・境・本郷 前宮二之御柱原・泉野
本宮三之御柱宮川・ちの 前宮三之御柱金沢・富士見
本宮四之御柱北山・米沢・湖東 前宮四之御柱豊平・玉川

今の地区割りになった明治35年からの上社御柱の曳行担当を上社曳行担当 - 連々雑記にまとめました。もし誤りなどがあれば訂正していただければと思います。

平成22(2010)年2月16日に秋宮神楽殿において下社の御柱曳行分担決定奉告祭が行われ、明治35(1902)年に以来の慣例に従った割当を確認しました。岡谷市御柱祭典委員会の宮坂隆平委員長、上諏訪地区奉賛会の藤原浩会長、下諏訪町御柱祭実行委員会の青木悟会長が区分決定書を署名し平林成元宮司が祝詞を奏上しました。

曳行担当御柱山出し祭里曳き祭初日里曳き祭中・最終日
秋宮一之御柱下諏訪町1・2・3・7・9区岡谷市川岸諏訪市上諏訪
秋宮二之御柱諏訪市上諏訪諏訪市上諏訪岡谷市湊・川岸・長地
秋宮三之御柱下諏訪町4・5・6・8・10区下諏訪町2・3区岡谷市旧市内
秋宮四之御柱岡谷市旧市内(3区/岡谷・新屋敷・小尾口)下諏訪町4・5・8・10区下諏訪町全区
春宮一之御柱岡谷市旧市内(7区/小井川・小口・今井・西堀・間下・上浜・下浜)岡谷市旧市内
春宮二之御柱岡谷市長地岡谷市長地
春宮三之御柱岡谷市川岸下諏訪町1・6・7・9区
春宮四之御柱岡谷市湊岡谷市湊

平成22(2010)年2月25日に下諏訪町御柱祭実行委員会は下社木落し坂近くの有料観覧席の抽選を町役場で行いました。19日に締め切った申込は、山出し祭3日間で9000席に対し30,630通、134,772席の応募と平均倍率14.47倍、最大43.95倍という大人気となりました。応募者は諏訪地方が43パーセント、県内が28パーセント、県外が29パーセントでした。抽選結果は翌週までに返信葉書で通知される。券の引き替えは3月10日から20日までに下諏訪町役場で行われます。

公民館の綱 平成22(2010)年2月28日に下諏訪町第10区の綱打ちが行われました。当初予定の8時にはまだ雨が降っていたため、10時からの開始となりました。神事の時には雨から雪に変わっていましたが、縄を持って走り出す頃から、その雪も上がり、時々は日差しも差し込む中の綱打ちとなりました。富部が打った綱は秋宮三之御柱の山出し用女綱二番綱と秋宮三之御柱里曳き用女綱二番綱の大社向け2本と地元若宮神社用の曳き綱2本の計4本です。それぞれのお祭まで公民館や地元の事業所などに飾られ、本番を待ちます。

めどの漢字は針孔。 平成22(2010)年1月23日に湖東地区の36人による抽選式が行われる。 平成22(2010)年1月28日に北山地区の7人による抽選式が行われる。 平成22(2010)年1月30日に米沢地区の7人による抽選式が行われる。 平成22(2010)年2月6日に北山・米沢・湖東の3地区抽選式が行われる。 平成22(2010)年2月14日に金澤地区の綱よりの為の根藤採りが行われる。 前回は750kgの藤つるを取った。今回は目標を1トンにしている。 平成22(2010)年2月27日に諏訪市木遣り保存会が総会を開催されました。 1番籤は湖東地区に。 平成22(2010)年2月28日には中洲で本一の元綱打ち、富士見町落合地区で本二の元綱打ち、宮川・ちのの各区でも綱打ちが行われました。また原村などでは根藤集めも行われました。 平成22(2010)年2月28日に下諏訪町第1区では春宮前の道路で綱打ちが行われました。

下社山出し祭の際のシャトルバスは諏訪湖畔赤砂崎の臨時駐車場から木落し坂上の町屋敷バス停まで、午前7時から午後5時30分まで10台のバスで運行されます。料金は片道100円。往路は入場規制又は正午までは通常運行。それ以降は有料観覧席券を持っている人のみ。復路は最終まで乗ることが出来ます。ただし混雑状況によっては運行が停止される場合もあります。前回の御柱祭以後に開通したトンネルを通る事で、安定した運行を目指しています。

平成22(2010)年3月9日に上社木落し有料観覧席の抽選が行われました。各御柱で500席づつの計4000席が県民枠として往復葉書での応募が受け付けられていました。平均倍率は2.4倍。最大は本宮一の4.2倍でした。

平成22(2010)年3月11日に北佐久郡立科町の国有林及び町有林で上社御柱用材の伐採が行われました。参加者は曳行担当地区毎に300人以内、合計2400人以内に制限。伐採された御柱用材は3月21日に山出し祭開始地点の綱置き場へ運ばれる予定。

平成22(2010)年3月13日に諏訪市の角間沢水源神社で御柱祭が行われた。ほとんどの小宮が諏訪大社の御柱祭の後に御柱祭を行う事から、諏訪地方で最も早い御柱祭とも言われる。

平成22(2010)年3月6日に岡谷市御柱祭典委員会は岡谷区公会所で各区代表者約230人が揃い安全祈願祭を行いました。 平成22(2010)年3月6日に豊平・玉川地区の前四の元綱の綱打ちが行われました。 平成22(2010)年3月7日に上社御柱用材伐採を前に火入れ式などの神事が茅野市玉川神之原の山作りの家などで行われました。 平成22(2010)年3月7日に長地で春二の元綱の綱打ちを行いました。同日、下諏訪町第9区でも綱打ちを行いました。 平成22(2010)年3月14日の早朝に喜多郎氏(57)が下諏訪町の棚木場で和太鼓の奉納演奏を行う。 平成22(2010)年3月14日に上諏訪地区奉賛会の総決起大会が行われる。

平成22(2010)年3月18日から21日にかけて上社御柱用材の仮搬出作業が行われました。初日の18日は森林の中から重機を使い、御柱用材を道路沿いに運び出しました。最終日の21日にはしらかば2in1スキー場の駐車場からトラック4台に8本の御柱用材を8時頃から詰め込み、11時頃に出発。ビーナスラインや八ヶ岳エコーラインを通り、2時頃に綱置場に到着しました。

平成22(2010)年3月20日に下社御柱用材を木作りのトップを切って下諏訪町の氏子約300-500人により、秋宮一之御柱(第1,2,3,7,9区担当)と秋宮三之御柱(第4,5,6,8,10区担当)の木作りが棚木場で行われました。木作りとは御柱の曳行準備作業で元綱を取り付ける為のメド穴を開けたり、御柱の後ろの部分を切り落としたりします。引き続いて21日には岡谷地区による4本、22日には岡谷地区の残った秋四と上諏訪地区による秋二の木作りが行われました。

平成22(2010)年3月26日、上社の8本の御柱は綱置き場の石碑にある前宮四之御柱から先頭の本宮一之御柱まで約300m間隔で道沿いに1本つつ佇んで木作りそして後1週間に迫った祭本番を待っています。地元の人は自分の地区の柱を見に来たり、観光客はやはり最大の大きさを誇る本一の前で赤ちゃんの写真を撮ったりと間近に迫ったお祭りに想いを馳せます。
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平成22年3月23日に御柱祭に向けた6市町村合同会議が下諏訪町で約200人が参加し行われました。 平成22(2010)年3月27日に上社御柱木作りのトップを切って、落合・境・本郷地区による本宮二之御柱の木作りがはじまりました。同地区は毎回山出し1週間前の土日の2日間を使って木作りを行うのが伝統。 平成22(2010)年3月28日に上社木落し坂で安全祈願祭が行われました。 平成22(2010)年3月31日に綱置き場では前一、前二、本三、本四、前四の5本の木作りが行われました。 諏訪地方観光連盟は上社山出し期間中にJR茅野駅モンエイトビル2階に御柱祭情報センターを設置。電話(0266-26-2102)での問い合わせへの対応とウェブ(http://www.onbashira.jp/)の更新で情報を伝える。

平成22(2010)年4月2日に諏訪大社式年造営御柱大祭上社山出し祭初日を迎えました。曳行の開始を告げる綱渡りの神事が行われる前から清めの雨がかなり強く降られていましたが、正午に向け徐々に上がっていきました。そんな中、穴山の大曲などでは氏子の熱気で湯気が激しくあがったりもしました。先頭を行く湖南・中洲が曳行する本宮一之御柱は木落し坂の上に引きつけ、初日の曳行を終了しました。

id:renya 平成22(2010)年4月3日は上社山出し2日目。本一、前一、本二、前二の4本の御柱が新しく整備された木落し坂での木落しを行いました。上川の対岸に設けられた初めての公的な有料観覧席は法被ではなくマフラータオル対応のF席でも十分満足がいく特等席だと思います。また待機エリアも上川の河原ということで、その日の初回以外は2度に渡り特等席で木落しを堪能出来ますね。そして本一、前一、本二の3本の御柱が川越しを行い、安国寺の御柱屋敷へ曳きつけられました。予定していた前二の川越しは午後6時を過ぎたということで安全を考え、翌日午前11時からになりました。そうそうLCVによると印象的な本一の感謝の横断幕は松本蟻ヶ崎高校書道部によるとのこと。

上社山出し祭も3日目ということで、最終日です。木落しは本三、前三、本四、前四の4本。そして川越しは前日に宮川手前までやってきていた前二を含めた5本。最後の前四は午後6時過ぎに宮川右岸に到着。ということで、大総代を御輿に乗せた川越隊が渡る頃にはもう暗くなり、たいまつの明かりの中でのセレモニーでした。そして、実際の川越しは午後7時過ぎとサーチライトと提灯の灯り中の川越しとなりました。

平成22(2010)年4月9日の朝7時下諏訪町の防災行政無線は春宮四之御柱の曳行開始が伝えられる。初日は岡谷市湊担当の春四、岡谷市川岸担当の春三、上諏訪地区担当の秋二が曳行され、木落し、そして注連掛への曳き着けまで行われました。

平成22(2010)年4月10日は下社里曳き2日目。岡谷旧市内3区担当の秋四と岡谷旧市内7区担当の春一が朝に曳行開始され、その日の内に木落しされ、注連掛まで曳き着けられました。また残りの岡谷市長地地区担当の春二、下諏訪が担当の秋三と秋一が曳行開始され、木落し坂手前のそれぞれの地点まで曳き着けられました。

平成22(2010)年4月11日は下社里曳き3日目。春二、秋三が下諏訪町消防団第6分団屯所前、秋一が斧立バス停前から、昨日の曳き着けまで地点から曳行が開始され、それぞれ木落しを行い、注連掛への曳き着けられました。諏訪地方観光連盟御柱祭情報センターによると3日間の人手は前回より13,000人多い536,000人と過去最高になりました。

平成22(2010)年4月17日と18日に上社の御柱休めが慣例に従い諏訪市中金子の八立(龍)神社の氏子が奉仕して行われました。引き抜かれた8本の古御柱の内、本宮の4本の柱は八立(龍)神社まで曳行されました。6月20日に御柱休めの儀が行われた後、本宮の4本は希望者に払い下げられ、前宮の4本は慣例に従い茅野市安国寺、高部、小町屋、諏訪市神宮寺に譲られる。

平成22(2010)年4月22日に下社秋宮において4本の御柱の御柱休めが地元業者によって行われました。翌23日に春宮において三之御柱と四の御柱の御柱休めが地元業者によって行われました。24日には春宮一之御柱が慣例に基づき下諏訪町第1区の奉仕で御柱休めが行われました。そして25日には慣例に基づき下諏訪町第7区の奉仕で御柱休めが行われました。御柱休めを受けた御柱はそれぞれ、秋一が地中部分を切り落とした上で新潟県新発田諏訪神社へ、秋二は上部が下諏訪町門前ひろば食祭館へ、下部が諏訪市関森電設へ、秋三の上部は諏訪郷友会(東京都で学生寮長善館を運営)、下部はJR下諏訪駅へ、秋四と春三と春四はお守りやお札になります。

平成22(2010)年4月24日から26日にかけて辰野町の宮木諏訪神社と三輪神社と法性神社の御柱祭が行われました。

平成22(2010)年4月24日に上社本宮神楽殿において茅野市神之原地区の山作り8人によって御柱迎えのお舟の製作が行われました。お舟とは長さ3.9メートル、幅1.7メートル、深さ1メートルの舟形のみこしでナルの木を使って作られています。このお舟は茅野市中道の人々が担ぎ上社里曳き初日に神職などが行列を整え本宮を出発。本宮一之御柱の曳き綱の先まで出迎えた後、本宮に戻ります。

平成22(2010)年4月25日に来たる里曳きに向け下諏訪町の富部長持ちと踊りの勢揃い並びに村回りが行われました。

平成22(2010)年4月25日に秋宮一之古御柱のもらい受けセレモニーと秋宮二之古御柱の設置お披露目式が行われました。秋一をもらい受けた新潟県新発田市の諏訪神社は社殿が2001年の火災で焼失後2004年に再建。その際に秋宮二之古御柱を建立している。6月20日に御柱休めを行った後、今回の秋宮一之古御柱を8月22日に建て御柱する。秋二は下諏訪観光協会が払い下げを受け、食祭館内のパブリックスペースに設置。建て長さ6メートル、目通り直径70cm。

平成22(2010)年5月2日に御柱祭上社里曳き初日を迎えました。本一、本二、本三、本四、前一、前二、前三、前四の順に安国寺の御柱屋敷から曳行開始していきました。諏訪地方観光連盟御柱祭情報センターによる人手は前回より10,000人多い78,000人。

平成22(2010)年5月3日は上社里曳き2日目。前宮の4本の建て御柱が行われ、本宮4本の御柱がそれぞれの建て御柱予定地点に曳きつけられました。人手は前回より14,000人多い264,000人。

平成22(2010)年5月4日は上社里曳き3日目。本宮において4本の建て御柱が行われました。

平成22(2010)年5月4日に下諏訪町第4,5,8,10区は注連掛で秋四の木直しを行いました。

平成22(2010)年5月5日に本宮と前宮で御柱固めの儀が諏訪市中金子の八龍神社の氏子によって行われました。

平成22(2010)年5月6日に下社宝殿の竣工祭にあたる葺合祭を春宮と秋宮でそれぞれ行いました。

平成22(2010)年5月7日夜に春宮で御霊代を西宝殿から東宝殿に移す遷座の儀が行われました。

平成22(2010)年5月7日の夕方から予定していた前夜祭は雨の為中止となりました。

平成22(2010)年5月8日は下社里曳き初日。注連掛から春一、春二、春三、春四、秋一、秋二、秋三、秋四の順で木落しを行い、そのまま国道を春宮に向け曳行して行きます。順番が進む毎に出発の時間が遅くなり、最後の秋四は予定時間よりも4時間程遅れての曳行開始となりました。その内に秋四は秋三に追いつき、完全に曳行が止まります。秋三もその前の秋二がいるため進めません。秋二も同様です。そう、秋一がいつまで立っても春宮境内への木落しを行わないのです。元々時間が遅れていたのに加え、春一の建て御柱で事故があった為でした。最終的に秋四が春宮への木落しを行い、春宮境内で曳行を終えたのは夜9時を回っていました。

平成22(2010)年5月9日は下社里曳き2日目。初日に下馬橋の先に引きつけた秋一から、春宮境内に留まった秋三、秋四までの4本の内、秋一、秋二、秋三の3本が秋宮まで曳きつけられ、下諏訪全町が担当する秋四は魁町まで曳きつけられました。また春二、春四の建て御柱が前日の事故もあり、安全装置をしっかりとした上で、行われました。また通称大社通りには多くの長持ちや騎馬行列などが繰り出し、祭を盛り上げました。

平成22(2010)年5月10日は下社里曳き最終日。春三と秋宮の4本の建て御柱が行われ、御柱祭はフィナーレを迎えました。魁町から曳行を開始した秋四が秋宮に到着したのはほぼ予定時刻通りの1時30分。その直前にはお昼休憩も取っています。その時間には既に建て御柱が終わっているはずの秋一はまだ建て御柱が始まってもいない状態。事前の打ち合わせに基づき、秋四は秋一の脇を通り、森の中へ曳きつけを行いました。

平成22(2010)年5月12日に諏訪署は春宮境内で春宮一之御柱の建御柱中に3人が落下し2人が死亡した事故で実況見分を行いました。

平成22(2010)年6月15日に上社本宮で宝殿遷座祭が行われ、東宝殿から新築された西宝殿へ神宝が移されました。この日をもって、諏訪大社が設定していた大祭期間が終了しました。

平成22(2010)年6月17日に諏訪大社は式年造営御柱大祭終了奉告祭を上社本宮と下社秋宮でそれぞれ行いました。これにより今回の御柱祭に関する祭儀を全て終了した。

平成22(2010)年6月20日に諏訪市中洲中金子の八龍神社で前回(2004年)の上社御柱を御神木から普通の木に戻す御柱休めの儀が行われました。本一は9月に北佐久郡立科町のスキー場の頂上付近に建てられる予定。本二は長崎県壱岐市に、本三は富士見町神戸にそれぞれ渡される予定。本四の行き先は未定とのこと。

平成22(2010)年7月17日にLCVによる御柱祭DVDが発売される。定価、6300円。

平成22(2010)年7月17日に茅野市の木落し公園と川越し親水公園に模擬御柱が設置される。2004年の古御柱を利用。木落し坂の上には本四を使い、坂の下には前四を建てた。

平成22(2010)年8月22日に新潟県新発田市の新発田諏訪神社に送られた平成16年の秋宮一之古御柱の建御柱祭が行われました。この祭には平林宮司や下諏訪町木遣り保存会などが参加し、台車に乗った形で市内2kmで曳行が行われた後、建御柱が行われました。

御柱関連リンク

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私がつかんだWeb上の御柱を含めた諏訪地方関連ページをクリップしています。特にニュース関連のクリップはこちらに集約しています。[06-27-09]
Onbashira - Wikipedia, the free encyclopedia
英語版Wikipediaによる御柱の説明ページ。とても単純に英語で説明する、とっかかりとしてはいいかと思います。[05-16-09]
banner信州諏訪 御柱祭公式ホームページ | 諏訪地方観光連盟
平成21(2009)年6月15日に翌年に向けたリニューアルを実施した諏訪地方観光連盟の御柱祭情報センターによる情報サイト。[06-15-09]
小宮に関した話題はまだ掲載されていないようです。今後どの様に掲載していくのか、注目。[06-19-09]
信濃國一之宮 諏訪大社 公式サイト
御柱祭の舞台、諏訪大社の公式サイトです。[06-26-09]
bannerみんなの歌「御柱」制作委員会
下諏訪町木遣り保存会の小林茂雄さんが作詞し、作曲を募った所、シンガーソングライターの美咲さんが応え、製作が進んでいる楽曲「御柱」に関するblog。8月3日に行われたかけ声などの公開録音の模様ももちろん掲載されています。[08-04-09]

[諏訪大社研究記] [諏訪大社御柱祭解体新書]
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