諏訪大社下社遷座祭(せんざさい)、通称「お舟祭」は御柱祭を除くと現在の下社最大のお祭りです。下社の祭神は2月のはじめから7月末までは春宮に、8月のはじめから1月の末までは秋宮に奉られます。お舟祭(おふねまつり)というのは、祭神の春宮から秋宮への夏の遷座祭、例大祭なのです。
柴舟は春宮から下馬橋を通り、春宮大門へ。国道20号、通称大社通りを進む。四つ角から八幡坂を登り、太鼓橋を渡り、秋宮境内へ。寝入りの杉を通りすぎ、神楽殿を右回りに3周して終ります。
お舟祭の行列は大きく分けて2つに分かれます。御霊代(みたましろ)を中心とする遷座の行列とその後ろに続く御頭郷(おんとうごう)が曳行(えいこう)する柴(しば)舟です。また、この一連の行列に先だってみこしや長持ち連、そして時代行列などが行われます。前夜の宵祭りでも、各町内会などによる子供みこしや長持ちなどが秋宮の参道を練り歩きます。
お舟祭りは御柱祭りを除くと御射山(みさやま)祭りの規模が縮小されている現在の諏訪地方では最大のお祭りと言っても差し支えないと思います。現在は2月と8月に行われている遷座祭ですが明治に太陽暦になるまでは1月と7月に行われていました。
長持ち(ながもち)は大祝(おおほり)即位式の行列の中で弁当や茶道具を運ぶために使われていました。また御柱祭では曳行者の弁当や梃子棒(てこぼう)を運ぶ為にも使われていました。そして長持ち唄が生まれ、祭りを盛り上げる為に使われるようになりました。長持ちは本来は衣類や夜具などを入れておく蓋付きの長方形の箱の事をいい、それの金具に竿を通して担いで運んで、近年までは嫁入り道具の1つとなっていました。
秋宮の入り口に立てられている幟旗。現在は八幡講から引き継いだ八坂の会が主催し建てられている。8月1日を挟んだ日曜日と日曜日に作業を行っている。会員は80人程度。(写真は平成21年2月の遷座祭際の物)
柴舟(しばぶね)は角柱六本を組合せ、山野の雑木である青柴を浸かり舟の形に整え、五色の幕で飾ったもので、長さは8.1メートル、幅4.3メートル、高さ3.2メートル、重量5トンという巨大なものです。明治初期までは柴舟を若者が裸で担ぎ、練り歩いた為、裸祭とも呼ばれていました。柴舟の上には翁(おきな)と媼(おうな)の人形があります。爺・婆の人形は下諏訪町諏訪大社協賛会人形保存会が毎年作成しています。柴舟は遷座の行列に続き、午後2時に春宮を出発します。
昭和61(1986)年から平成17(2005)年まで毎年行われていた鎌倉絵巻である時代行列は例年芝舟の曳行に先立ち、午後1時頃に春宮を出発し、秋宮を目指します。この時代行列は平安末期から鎌倉初期の武将である金刺盛澄(かなさしもりずみ)が率いる物です。金刺氏は諏訪大社下社の現人神であり最高権力者である大祝の一族です。盛澄は彼は木曽義仲に従い上京しましたが、後に鎌倉幕府の御家人となっています。比類無きの弓馬の名人と称えられていました。その後源頼朝の命に対して鎌倉への到着が遅れた際、梶原景時のとりなしで流鏑馬を披露しその見事さに罪を許されたと言われています。
時代行列の華といえば、万寿姫(まんじゅひめ)と絹姫(きぬひめ)というお姫さまでしょう。
万寿姫の由来は室町時代に書かれたと言われている御伽草子によります。
時は平安末期。貴族の時代から武士の時代へ変わろうとするそんな時に起きた源平合戦。木曽義仲に随従していた金刺盛澄の弟に手塚太郎光盛という武将がいました。そしてその娘に唐糸という琴や琵琶の名手がいました。彼女は18歳の時に鎌倉に召し出されていました。頼朝が義仲討伐の命を発すると頼朝を刺せと短剣が送られてきました。しかしその短剣が見つかり石牢へと幽閉されます。その事を知った唐糸の一人娘である万寿姫は鎌倉へ向かい母を助ける機会を待ちます。そんな時鶴岡八幡宮で舞を披露することとなり、その舞の素晴らしさに頼朝より褒美を取らせるということになりました。万寿姫は自分を母の唐糸の身代わりとしてもらいたいと願い出ます。そんな彼女に心を打たれた頼朝は2人を許し、そろって諏訪に帰ることが出来たということです。
平成11年の万寿姫は宮沢桂子さん、絹姫は今井智美さん、秋姫は中村美帆さんと逸見育未さん、春姫は伊東真奈美さんと小口亜矢さんがそれぞれ選ばれました。
平成13年のミス下諏訪万寿姫・絹姫コンテストは6月23日午後2時から春宮境内にて行われ、第13代万寿姫に八十二銀行下諏訪支店勤務の高橋史子さん(21)が絹姫には牧田越子さんが選ばれました。
下諏訪観光協会や下諏訪町商工観光課などによる平成14年のお舟祭の時代行列の華である万寿姫と絹姫そして山吹姫を決定するコンテストが2002年6月29日に諏訪大社下社春宮にて行われます。応募資格は諏訪地方在住で在勤の18歳以上の独身女性。2002年6月19日が応募の締め切りとなっています。3役のいずれかに選ばれると8月1日に行われるお舟祭の時代行列に参加する他、諏訪湖開きや八島高原開山祭に参加したり、県外などで行われる観光キャンペーンにも参加します。
平成13年までは万寿姫1名、絹姫1名の他に春姫と秋姫がそれぞれ2名づつ選ばれていましたが、お舟祭の他の行事には参加しないことから今回から廃止され代わりに山吹姫を1名選ぶことになりました。山吹姫というのは諏訪大社下社の大祝である金刺氏が滅亡したとされる今の水月公園付近にあったとされる山吹城にもきっとお姫様はいたはずだということで作られた名前とのことです。
2002年6月29日の午後1時から諏訪大社下社春宮の神楽殿において平成14年度ミス下諏訪万寿姫・絹姫・山吹姫コンテスト(第14回下諏訪町時代行列・姫コンテスト)が開催されました。22名の応募者の中から私服と着物姿による1次審査でまず6人が選ばれ、その後2次審査が行われ、ミス下諏訪の万寿姫と準ミス下諏訪の絹姫・山吹姫が選出されます。
あやめ奉献祭で奉納されたあやめが綺麗な中行われた応募者によるリハーサルの後に唐糸の舞の披露そして東山田長持ち保存会による雅楽の演奏に続いて開会式が行われました。審査員は新村町長や浜康幸県議、下諏訪町消防団団長、平成13年度と12年度の万寿姫、絹姫、平成10年度の万寿姫などに加えて下諏訪中学校3年4部の皆さんなど。司会は10年以上務めているLCVの方、アシスタントはSBCのラジオカーレポーターである宮澤佳子さんでした。また神楽殿の中には向かって右側の青い着物が万寿姫、左側の赤い着物が絹姫が着る物がありました。
審査の結果、ミス下諏訪・万寿姫に選ばれたのはエントリー No.11 宮下由美さん(22)。準ミス下諏訪・絹姫にはエントリー No.22 石田涼子さん(24)が、同じく準ミス下諏訪・山吹姫には小松瞳さん(22)がそれぞれ選ばれました。
平成15(2003)年のお姫さまは6月14日土曜日に例年通り春宮にて選ばれました。
万寿姫には大平涼子さん、絹姫には青木美和さん、山吹姫には池田瞳さんが選ばれました。
2004年の第16回ミス下諏訪は万寿姫が山寺由紀子さん、絹姫が藤森恵美さん、山吹姫が山口真由さんでした。
お舟祭の主役である柴舟の曳行は諏訪郡の6市町村のそれぞれの地区の氏子が10年に1度の当番制で果たしています。ちなみに、当番地区の事を御頭郷(おんとうごう)といいます。
平成12(2000)年の御頭郷は茅野市の米沢・北山・湖東地区です。この地区の特徴としては鼓笛隊による演奏があることです。10年前に果たせなかった神楽殿三周も今回は無事に果たすことが出来ました。
平成13(2001)年の御頭郷は旧上諏訪、豊田、四賀の各地区です。10年前の時には秋宮につくことができませんでしたが、今回は無事に秋宮まで曳行し、神楽殿三周も果たせました。
平成14(2002)年の御頭郷は富士見境、本郷、原村の各地区です。
平成15(2003)年の御頭郷は落合、富士見、金沢地区の各地区です。
平成16(2004年の御頭郷は岡谷市の湊、川岸地区の各地区です。
平成19(2007)年の御頭郷は諏訪市の中州と湖南です。
平成20(2008)年の御頭郷は下諏訪と長地地区です。
平成21(2009)年の御頭郷は旧岡谷市です。
平成22(2010)年の御頭郷は茅野市の米沢・北山・湖東地区です。
平成23(2011)年の御頭郷は上諏訪、豊田、四賀です。
平成24(2012)年の御頭郷は原村、本郷、境です。
平成25(2013)年の御頭郷は落合、富士見、金沢です。
平成26(2014)年の御頭郷は岡谷市湊・川岸です。
現在の御頭郷は諏訪郡内を下記の様に地区分けしています。
第1部が原村、本郷、境。第2部が落合、富士見、金沢。第3部が湊、川岸。第4部が豊平、泉野、玉川。第5部がちの、宮川。第6部が中洲、湖南。第7部が下諏訪、長地。第8部が旧岡谷市。第9部が米沢、北山、湖東。第10部が上諏訪、四賀、豊田。
御頭郷は元旦の本宮御頭御占神事で選ばれます。昔は本当に抽籤で2年連続で選ばれた地区もあったそうです。その後、御符渡し神事が本宮で行われます。そして下社春の遷座祭に参列、奉仕。境締めの神事。前宮で野出神事。上社の例大祭、御頭祭。お舟祭への奉仕と続きます。
毎年2月1日には秋宮から春宮に動座する冬の遷座祭が行われます。芝舟はありませんが、御頭郷や地元下諏訪町などが立派な行列を仕立てます。この映像は平成21(2009)年2月1日の行列が秋宮を出発する時の様子です。