ここは、天下の大祭/三大奇祭と言われる御柱祭で有名な諏訪大社や諏訪湖を中心としての温泉地としてまた精密機械に関しては東洋のスイスとも呼ばれ、全国的に有名な信州(長野県)諏訪地方に関するウェブサイトです。
日本最古の神社の1つ諏訪大社についての解説です。
天下の大祭、7年に1度行われる御柱祭について書いています。
諏訪大社の遷宮祭、お舟祭について書いています。
周囲約16キロと長野県最大の湖にして天竜川の源でもある諏訪湖。御神渡りといった神秘的な現象から夏の風物詩となっている花火大会まで諏訪湖の色々な顔を紹介していけたらと思っています。
全国的にも有名な下諏訪温泉と上諏訪温泉の効能や施設について説明しています。
信州諏訪地域には数多くのサイクリングスポットがあります。ここではそれらを紹介していこうと思います。
諏訪湖周辺をはじめ諏訪地方には数多くの博物館や美術館があります。それを回るだけで一体何日かかるのでしょうか…。
諏訪には数多くの不思議な巨石や面白い石が残されています。そんな諏訪の磐座(いわくら)を巡ってみましょう。
その昔東洋のスイスと言われたほど精密工業が盛んな地域。腕時計やプリンタその他ののセイコーエプソン、オルゴールの三協精機など世界に通用する企業もあります。
戦前の日本の主要産業であった蚕業。諏訪もそんな蚕業が盛んな地域の一つでした。
甲州街道の終着点であり中仙道の宿場町で諏訪大社の門前町、そして全国的にも名高い温泉地ということで、昔も今も多くの観光客が諏訪の地を訪れています。
平成15(2003)年4月22日に諏訪市の諏訪湖農協と茅野市の諏訪みどり農協はそれぞれ臨時総会を開催し、2004年3月に合併して信州諏訪農協を設立するとする議案を出席した正組合員の3分の2以上の賛成で可決し、合併が正式に決まりました。新農協のエリアは諏訪6市町村で県の農協中央会による県内16農協構想による14番目の合併。
平成15(2003)年4月22日に長野県内で西友を展開しているSSVは7月1日付けで親会社の西友の100パーセント子会社になることを発表しました。
2007年4月7日に諏訪産業集積研究センター(SIARC サイアーク)が任意団体として発足。インダストリーネットワークの大橋俊夫社長らが呼びかけ設立され、同社が事務局も担う。同日諏訪湖時の科学館儀象堂で設立総会が開かれ、地元企業代表、全国の国公立私立大学の研究者など約40人が参加。会長には京都大学の喜多一教授が就く予定。副会長には大橋俊夫社長と東京工業大学の出口弘教授が就任。
2002年12月の初めにサルによる被害が下諏訪町においてサルが人を襲うという事態が連続して起こり、全国的なニュースとなっています。
2002年12月2日に関屋団地から上久保周辺にかけて女性14人、3日には東町中から星が丘周辺にて女性9人、合わせて女性ばかり23人が被害にあっています。
1997年に北宋時代の水運儀象台の復元の際に交流したのがきっかけで河南省の開封市の友好代表団の7人が2002年4月22日に来町し下諏訪総合文化センターで友好交流議定書の調印式を行いました。昨年の10月には開封市で仮調印が行われた際にはチャイナドレスの女性の歓迎された事を受けて、今回は和服姿の女性が登壇。
1979年に建設された旧下諏訪図書館の建物は老朽化が進んだため、2001年度から取り壊し及び新図書館の建設工事が行われました。新館は旧館の2.2倍の規模、約11万冊を収蔵。
しかし、20年くらいで老朽化著しく立て直しが必要という造りもどうかと思うけど、図書館建設中の1年以上の期間本の貸し出しが一切無しというのもどうかと思うけど。そんな考え方では箱だけ立派でも駄目だと思うのですが…。
2002年5月のある日、秋宮までちょっと行ってみますと、奏鳴館と秋宮の間の建物が取り壊され、駐車場も含めて工事が行われていました。ここは一体どうなるのでしょうか。
諏訪湖時の科学館「儀象堂」と諏訪湖オルゴール博物館「奏鳴館」は平成18年4月1日から設の管理運営が指定管理者として有限会社エム・アイ企画に指定期間5年間で移行している。
平成8年12月にうなぎのまち岡谷の会設立。
平成15(2003)年2月18日に岡谷市は前年度比10.5パーセント増の総額230億500万円の2003年度一般会計当初予算案を発表しました。
平成15(2003)年3月26日にバレーボールの第34回全国高校選抜優勝大会の男子決勝戦が東京の国立代々木競技場で長野県の岡谷工業と熊本県の鎮西高校の間でおこなわれ、セットカウント3対1で岡谷工業が3年ぶり4度目の優勝を飾りました。
岡谷工業は前年の高知国体での優勝経験者が5人残っているという豊富な経験をいかして、またスタメンの平均身長も186.3センチと参加53校中トップという前評判通りの強さを発揮しました。
2002年12月7日に諏訪市内で開いた後援会総会において2003年4月30日に任期満了を迎える諏訪市の市長選に現職の山田勝文氏(51)が立候補の意思を表明しました。現在のところ他に立候補の動きはありません。
氏は養蜂場の社長を経て1999年(平成11年)に初当選で現在1期目。
平成15(2003)年3月29日の夕方から7回目となる上諏訪街道呑みあるきという諏訪市の国道20号線沿いの5つの酒蔵や商店などが地酒などを振舞うイベントが行われました。
平成15(2003)年5月20日に東京証券取引所が6月24日にセイコーエプソン株式会社(SEIKO EPSON CORPORATION)の株式上場を承認しました。上場先はまだ未定ですが、一部上場となる見通しで新規に普通株式を4千万株発行とのこと。調達した資金はプリンタなどの主力事業の設備投資などにあてる予定。業績が向上するなど諸条件が整ってきたためとしている今回の上場ですが、株式市場が低迷する中でどのような評価をされるのか注目されます。
上場承認日が2003年5月20日、上場予定日が6月24日、証券コードは6724、新コードではJP3414750004、主幹事は日興コーディアル証券となっています。3月31日段階の発行済み株式は151,864,592株で上場株式数は191,864,592株となります。売買単位は100株で3月31日段階での資本金は12,531,076,000円となっています。
大株主としては13.38パーセントにあたる20,318,934株を保有する青山企業株式会社、9.41パーセントに相当する14,288,550株の三光起業株式会社、5.14パーセントにあたる第一生命保険相互会社、5.00パーセントの7,593,100株の株式会社みずほコーポレート銀行、4.91パーセントにあたる7,464,006株を保有する服部靖夫氏、4.65パーセントの7,060,700株の服部■二郎、4.49パーセントの6,825,702株のセイコー株式会社、4.11パーセントの6,236,000株のみずほキャピタル株式会社、4.03パーセントにあたる6,117,234株のセイコーエプソン従業員持ち株会、3.62パーセントにあたる5,499,968株の服部■氏などとなっています。
公募株数は国内が23,805,500株で海外が16,194,500株。仮条件決定日が5月30日、ブックビルディング期間が6月2日より6月13日まで、公開価格決定日が6月16日、申込期間が6月17日から19日、払込日は6月23日、受け渡し日が6月24日となっています。
売出株の放出元は服部真二氏が1,700,000株、サン企画株式会社が1,250,000株、服部秀生氏が1,200,000株、服部孝子氏が700,000株、服部純一氏が500,000株、有限会社京栄企業が500,000株、服部靖夫氏が320,000株、株式会社サンリツが100,000株となっています。
2003年3月期での連結94社の総従業員数は73,797人、単体の従業員数は13,084人。売上比率は情報関連機器事業が70.5パーセント次いで電子デバイス事業が23.0パーセント、精密機器事業が6.0パーセント、その他0.5パーセントとなっています。
平成15(2003)年6月24日、諏訪市に本社があるセイコーエプソン株式会社が東京証券取引所一部に上場しました。初値は公募・売出価格の2600円より1090円高い3690円となり、初値で計算した時価総額は7080億円となりました。公募売出により同社は988億円を調達しました。これは今年最大規模となります。
セイコーエプソンは2003年3月期の連結決算で売上高1兆3224億円、当期純利益125億円を計上。携帯電話向け液晶ディスプレで世界シェアトップ、インクジェットプリンタも国内シェア約46パーセントとトップを占めています。
セイコーエプソンは審査の対象期間である2002年3月期決算は最終赤字でしたが、2002年10月に東証が年間売上100億以上、株式時価総額1000億円以上の場合は審査対象期間の決算が赤字でも上場出来るという風に基準を変更していたため、新基準適用第一号として今回の上場が可能になりました。
諏訪地方の食事どころを少しずつ加筆しています。
諏訪地方には数々の地酒があります。それらを飲み比べてみるのも楽しいと思いますよ。
2001年2月20日に長野県の田中康夫知事は脱ダム宣言を発表し、その一環として下諏訪ダムの建造中止を正式に発表しました。
下諏訪町の新村町長は推進派。
平成15(2003)年5月1日に長野県は同県の下諏訪町と岡谷市に対して県営下諏訪ダムの計画が中止になった砂川の治水代替案としての河川改修計画の原案を掲示しました。この原案ではピーク時の流量である基本高水である280立方メートルの8割、50年に1度あるかないかという洪水に対応しているとのこと。
平成15(2003)年5月22日の夜に下諏訪町の萩倉公会所において長野県は開発が中止となった県営下諏訪ダム計画の地権者らを対象にした説明会を開きました。これはダム計画の代替案となる砥川河川改修計画の原案が示されたことから開催されたもので、県は地権者らが求めているコミュニティー施設や道路建設には応じられないという立場を崩しませんでした。
平成の大合併と呼ばれる全国規模の市町村合併。その機運が盛り上がる前から議論の対象となっていたのが諏訪地方6市町村の合併問題です。
平成15(2003)年3月24日に富士見町で開かれた諏訪地域6市町村の任意合併評議会は分権型合併と呼ばれる合併した後も旧市町村単位に一定の自治を残す方法の概要をまとめました。
平成15(2003)年6月20日、下諏訪町議会は6月定例会の最終日に諏訪地方の6市町村合併について町民に是非を問う住民投票条例を可決しました。採決後に高橋文利町長は既に同様の条例を可決している富士見町と同じ日に投票を実施したいという意向を表明しました。
続日本紀によると養老5年(721)6月に信濃国を割き諏訪国が作られましたが、天平3年(731)には再度信濃国に併合されています。わずか10年の諏訪国。一説には各国に義務づけられていた国分寺及び国分尼寺の建立を拒否した事によるものとのことです。
天文11年(1542)に武田信玄が上社の惣領・諏訪頼重を滅ぼします。これにより戦国大名の諏訪氏及び諏訪大社の大祝家は一旦断絶します。江戸幕府になってから妾腹の頼水(よりみず)が高島藩3万石の藩主となり、その後頼広以降の上社大祝家と分離し、完全な政教分離が図られました。
鎌倉時代の諏訪氏は元々は御家人であったが、後に信濃守護職の北条氏の御内人になっています。
歴史が古い諏訪には数多くの史跡や旧跡があります。また多くの美術館や博物館があります。
全国におよそ1万余と言われる諏訪神社。そして諏訪という地名も数多く存在します。そんな日の本の国に点在する諏訪について取り上げてみたいと思います。
信州諏訪地方に関係するサイトへのリンクページです。