諏訪湖百景

諏訪湖は、海抜759メートル、周囲約16キロメートル、面積13.3平方キロメートル、水深約7メートルの長野県のほぼ中央に位置する同県最大の湖で、天竜川の源でもあります。諏訪湖では鯉(こい)や鮒(ふな)公魚(わかさぎ)などの釣りも楽しめます。明治期にはここでスケートが発達。日本のスケート競技発祥の地となっています。大小31本の川が注ぎ込みますが、流れ出る川は天竜川1本です。

またほとんどの区間がジョギング・サイクリングロード完備なので、ジョギングやサイクリングなどで気楽に湖一周を楽しむ事が出来ます。

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2002年6月3日に県の諏訪建設事務所は諏訪湖の新しい浄化工法として内湖の設置を検討している事が明らかになりました。諏訪湖に流入している31の河川の内、諏訪市の舟渡川、鴨池川、武井田川そして岡谷の塚間川が候補となっています。この内湖という方法は全国で現在一ヶ所のみで行われている方法とのことです。

かつては冬になると諏訪湖全面に厚い氷が張っていました。そこでは小型飛行機が発着したこともあったりしました。また明治の中頃から昭和30年代までは諏訪湖の天然氷を切出し、東京方面に出荷するということもありました。最盛期には1日400人の氷切りの作業員が半月の間に3500トンもの氷を切り出していたそうです。

2009年12月9日に諏訪湖ジョギングロード沿いの湖周道標の設置が完了し落成式が諏訪市の石彫公園近くで行われました。諏訪湖周16.022kmの4km毎に高さ1.8mの道標を設置し、1km毎に1.2kmの道標を建てた。起点となる道標は諏訪市のSUWAガラスの里付近と石彫公園付近、下諏訪町の一ッ浜公園付近、岡谷市の釜口水門に設置。

御神渡り

御神渡り(おみわたり)とは、冬、湖を被っている氷が隆起してまるで神様が渡っていった後の様に見える様の事を言います。御神渡りの状況は応永4(1397)年からその記録がみられ、天和3(1683)年以降、克明に書かれています。

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ちなみに、この御神渡り。科学的にはどのようなメカニズムで発生するのかまだはっきりとは解っていません。
ただ、全国的にも諏訪湖以外で御神渡り現象が確認される湖はかなり少ないことから特殊な要因が重なる必要があると思われます。
まず必要な要因は当然の事でありますが、湖が凍るということ。そして氷の厚みがある程度確保されることが必要です。周囲約16キロという巨大な湖が凍るその要因は諏訪湖の水深の浅さがあります。最も深いところでも7メートルという浅い水深が諏訪湖を凍らせているのです。
もう1つ重要な要因が諏訪は寒さのわりに雪が少ないということがあげられます。諏訪盆地の真ん中にある諏訪湖はその西を日本アルプスなどで守られているため冬の日本海で蓄えられた水分は諏訪盆地に下るまえにほとんど振り切ってしまい、冬の風は比較的乾燥しています。日本海側というよりは太平洋側の気候に近いのです。そのため、凍った諏訪湖の上に雪が降り積もることが少なく、御神渡りをはっきりと確認することができるのです。

平成10(1998)年の1月31日の早朝、平成3(1991)年以来7年振りの御神渡りの拝観式が行われました。これは、八剣神社の宮司が氏子総代数10人が参列し八剣太鼓が打ち鳴らされる中、道筋を確認し同神社に三百年余り伝わる記録と照らし合わせて占うというものです。
今回の道筋は1921年と平成3(1991)年の両年に酷似していて、天候不順、作柄平年作、経済は悪いが上向き、世情不安定という結果になりました。この記録は後日諏訪大社にも奉告され、同大社から宮内庁及び気象庁にも届けられる事になっています。

平成13(2001)年の冬は大変寒くかなり長い間諏訪湖は全面結氷していましたが、諏訪とは思えないほど雪が多かったせいか、ついに御神渡りは現れませんでした。

平成15(2003)年1月17日の午前6時半より諏訪市小和田の八剣神社の宮坂清宮司や総代ら8人が諏訪湖の氷の隆起を見回った結果、御神渡りと確認しました。これは平成10(1998)年1月以来5年ぶりの事になります。その夜に八剣神社にて開かれた総代会において御神渡りの筋の位置によってその年の気象や農作物の出来を占う拝観式を1月19日に行う事を決定しました。
1月6日より全面結氷をしていた諏訪湖の17日の最低気温は氷点下5.4度で氷の厚さは約10センチ。諏訪市の舟渡川の河口付近から蛇行しながら下諏訪町の東赤砂へ伸びる物と諏訪市の島崎川の河口から下諏訪町の高浜に伸びる物、下諏訪町の東高木から岡谷市の湊方面へ伸びる3本により、通例の3筋があることが確認されています。

平成14(2002)年から平成15(2003)年にかけてのシーズンは12月から何度も2月にかけて何度も大雪に見舞われるというシーズンでした。拝観式が行われた1月19日の直後にも大雪が降り、折角の御神渡りも隠れてしまい、そしてそのままシーズンは終わりを迎えてしまいました。

平成16(2004)年1月に2季連続の御神渡りが確認されました。年明けまでは暖かかったので今季は難しいかなと思われていた御神渡りですが、1月半ばからの冷え込みのお陰で2季連続そして御柱年に現れ、2004年1月31日に拝観式が行われました。諏訪市小和田にある八剱神社は1月29日の夜に臨時総代会を開き、御神渡り候補として報告しました。確認した筋は諏訪市のヨットハーバー近くにある中門川の河口から下諏訪町の承知川河口付近、諏訪市舟渡川河口から下諏訪町赤砂にある漕艇庫近く、下諏訪町の高木から岡谷市の小坂への計3本。天和3(1683)年から伝わるとされる八剱神社の御渡帳と照合して昭和26(1951)年と昭和42(1967)年に似ていると判断。

平成18(2006)年1月9日夜に八劍神社(諏訪市小和田 宮坂清宮司)臨時総代会が開かれ13日に拝観式を行う事を決定。当日は午前7時35分から八劍神社で神事を行った後下座(くだりしま)と上座(あがりしま)を確認して御神渡りを正式に認定する。拝観式は2004年以来2季ぶりのこと。明治以降で最も早いのは明治37年(1904)と昭和2年(1927)の1月9日。通常1月末から2月頭に行われているが、今シーズンの厳しい冷え込みを象徴する早さとなった。御神渡りは諏訪市旧六斗川から下諏訪町承知川河口付近まで、諏訪市初島付近から岡谷市横河川河口付近まで、下諏訪町高木から岡谷市小坂までの3本。

平成19(2007)年2月25日に八剣神社で注進奉告祭が行われ明けの海が奉告された。御神渡りがなかった明けの海は戦後27回目。平成19年間では14回目。

平成20(2008)年1月30日の夜に諏訪市小和田の八剱神社において臨時総代会が開かれ、御神渡りの拝観式を2月2日に行う事を決めた。拝観式は2006年以来2季ぶり。平成以降では6回目。この日の朝、宮坂宮司や宮坂隆大総代らが湖上に出来た3本の筋のせり上がりを確認した結果拝観出来ると判断。役員は精進潔斎(しょうじんけっさい)に入る。拝観式は当日の午前7時に八剱神社で神事が行われ7時45分から諏訪湖において下座(くだりしま)と上座(上がりしま)を確認し、一之御神渡り、二之御神渡り、佐久之御神渡りを決める。今回は1月の後半になって急激な冷え込みで25日になり全面結氷。その後期待がふくらみ、今回の決定に至ったが、せり上がりは前回の3分の1程という低さ。これでは厳しいかなと評価していたけど、決断したみたい。

平成20(2008)年2月2日の朝、御神渡りの拝観式が諏訪市小和田の八剱神社の宮坂清宮司、宮坂隆大総代らにより行われました。天和3(1683)年から伝わる御渡帳と照合した結果、昭和38(1963)年と明治30(1897)の筋に似ているとし、「今年の天候をやや不順、作柄を十分、世相は不安定なれど明るい兆しあり」と判断。諏訪市高島の中門川河口を下座(くだりしま)とし湖心付近から下諏訪町西高木を上座(あがりしま)とする筋を「一之御神渡り」、諏訪市渋崎の旧六斗川河口から岡谷市湊を経由し下諏訪町赤砂崎に至る筋を「二之御神渡り」、下諏訪町南高木から釜口水門方面に東西に走り一之御神渡りと交差している筋を「佐久之御神渡り」と認定。2季ぶりの御神渡りだが。ここ20年では1991年、1998年、2003年、2004年、2006年に続くもの。2月24日に注進奉告式で諏訪大社に報告し、大社を経由して宮内庁や気象庁にも送られる。

諏訪湖の花火

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昭和24年に敗戦後の暗い世相を少しでも明るくし、住民が希望を持ち、1日でも早く立ち直る事を願って、費用18万6千円、見物人およそ5万人で始まって以来、毎年8月15日に行われている諏訪湖祭り湖上花火大会。平成10年で50回目を迎え、諏訪の夏の風物詩となっています。

花火は諏訪湖唯一の島である初島を中心として打ち上げられます。
枝が大きく下がる大柳などの花火が出来るのは、湖上だからこそです。

諏訪地方の小中学校は8月の20日前後から2学期が開始になります。なので、この花火大会が終るとあと少しで夏休みが終るなと思ったものでした。

3万2千発、約2時間にも及ぶ花火の中でも最大の見所は最後を飾る水上スターマインとナイアガラの滝と呼ばれる花火だと思います。
水上スターマインは諏訪湖ならではの花火とも言えるものです。4号玉から10号玉までを順々に水面ぎりぎりで爆発させ、水上に浮かぶ半円の花火が徐々に大きくなり、それがまるでどんどんと自分の方に近づいてくる様な感じになります。

諏訪湖が発祥と言われている水上大スターマイン・キッス オブ ファイヤーは昭和50年(1975)の第27回にはじめて打ち上げられて以来毎回打ち上げられています。

初島から離れた下諏訪町や岡谷市から見ると、花火の光と音にかなりのタイムラグがあります。花火が空で破裂した時ようやく打上げ時の音が聞こえてくると言った感じです。

およそ3万発の花火の数は全国でもトップクラスの数です。
現在の大会では約30cmの10号玉が最大の物です。昔は2尺玉や3尺玉を打ち上げていた時もあるそうです。

2003年の第55回諏訪湖湖上花火大会は午後7時から全長2キロのナイアガラや水上スターマインなど40セット計3万4千発と過去最大規模。

2001年の大会ではLCVが中心となって72のCATVへ配信。

もう一つ8月15日とは別に9月の第1日曜日に通称花火サミットと呼ばれる全国新作花火競技大会が行われます。この大会は平成10年で16回目を迎えています。
昔は、8月15日とは違い、観光客もあまり多くなかったのですが、ここ数年はこちらの方の見物人の数もかなり多くなってきました。
全国の花火師が新しい技術を競うという意味で非常に面白い大会です。

第17回全国新作花火競技大会は1999年9月5日に開催。全国から30人の花火師が参加します。打ち上げ開始は午後7時。総事業費は4200万円です。
2000年9月3日に第18回全国新作花火競技大会2000が開催されます。
2001年6月29日に第19回全国新作花火競技大会を2001年9月2日に開催する事を決定しました。2000年より2000発多い17000発。30人の花火師がそれぞれ10号玉2発、7号玉3発を打ち上げて、競う。2000年まで無料だった石彫公園の観覧席を1000円の有料としました。

諏訪湖マラソン

諏訪湖マラソンは平成元年にきれいな諏訪湖を取り戻そうをテーマにスタートしたハーフマラソン大会です。
諏訪湖一周約16キロに若干の距離を足してちょうどハーフマラソンにしています。
今や、秋の諏訪湖を代表する行事となっています。

平成14年(2002)開催の第14回諏訪湖マラソン大会は10月27日(日)に開催されます。
 申し込み受付開始は7月1日から8月31日までとなっています。
主催は長野県、岡谷市、諏訪市、茅野市、下諏訪町、富士見町、原村及び長野日報社で構成する諏訪圏健康推進協議会。運営は諏訪湖マラソン大会実行委員会及び長野日報社。種目はハーフマラソン、制限時間は2時間40分となっています。

釜口水門

諏訪湖から流れ出す唯一の川、天竜川。そのスタートの場所に建てられているのが釜口水門です。
10年の歳月と100億円をかけて昭和63年7月に完成したのが現在の釜口水門(かまぐちすいもん)です。

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諏訪湖アイスキャンドル

2002年2月10日(日)の午後6時過ぎより『天下夢想!!!アイスキャンドル大作戦』が諏訪湖一円にかけて行われました。

これは、牛乳パックを半分に切った物とジュースや珈琲の缶を利用して氷の筒を作り、その中に薄い円の蝋燭を入れて作ったアイスキャンドルを25,000個制作し周囲約16キロの諏訪湖の湖畔に置きぐるりと1周させようというプロジェクトです。
牛乳パックを利用したアイスキャンドルの発案者は松本市大名町の木下さん。

スタートは従来市町村毎にあった物が合併して作られた諏訪圏青年会議所の合併記念事業でその企画にジュニアリーダースクラブが参加し、高校生主体で進められました。実行部隊の中心は高校生がつとめ、実行部長の諏訪二葉高校3年の小松千穂さんは開会式で挨拶しました。

主催は社団法人諏訪圏青年会議所、共済:は岡谷市リーダース倶楽部・スワジュニアリーダースクラブ・茅野市リーダースクラブ・長野エフエム放送株式会社となっています。

公式発表では見学に訪れた人は25,000人という事です。

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banner天下夢想!!!アイスキャンドル大作戦
諏訪圏青年会議所によるアイスキャンドル大作戦のウェブサイト。[02-10-02]
What's FM-NAGANO
アイスキャンドル点火の合図を担当したFM長野のウェブサイト。[02-10-02]

第2回アイスキャンドル大作戦が平成15(2003)年2月9日(日)に諏訪湖一円及び諏訪地方6市町村各地で開催される模様です。午後4時よりキャンドルを設置し、午後6時10分より点火というスケジュールとのこと。

その他の風物詩や見所

四つ手網

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諏訪湖の春の風物詩、四ツ手網漁。4月の初めから7月いっぱいが漁期ですが、最も盛んなのは5月の上旬と言われています。
これは産卵の為に湖岸付近に集まるコイやフナなどを一網打尽にする漁法です。
諏訪湖漁協は縦横が3.5メートル以上のものを大四ツ手網、それ以下を小四ツ手網と区別していて、大四ツ手は足場を組む際の河川占有許可は漁協が諏訪建設事務所に一括申請している関係で諏訪湖漁協組合員に限定されているということです。
ちなみに、大四ツ手は最盛期には100ヶ所近く設置されていましたが、2002年の申請は32ヶ所に留まっています。

諏訪湖レガッタ

毎年5月の上旬から中旬にかけての週末2日間に渡って行われるレガッタ大会。

2002年5月11日及び12日に第25回信毎諏訪湖レガッタ・第3回全国ナックルフォア大会が下諏訪町漕艇場6レーン1000メートルコースで開催されました。前日の10日には下諏訪町総合文化センターで開会式が行われ、182クルーが参加し男女16種目を争いました。
主催は下諏訪町、信濃毎日新聞社、長野県ボート協会。

諏訪湖開き

かつては冬の間凍っていて運行出来なかった遊覧船のそのシーズンの初航海だったが、現在は全面結氷になることもまれとなり、セレモニーのみの要素が強くなっています。

2002年4月29日に第43回諏訪湖開きが諏訪湖畔のお祭り広場をメイン会場に行われました。

諏訪湖ツーデーマーチ

2002年9月21日から22日にかけて第7回諏訪湖ツーデーマーチ(旧諏訪湖一周ウォーク)が開催されます。

遊覧船

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諏訪湖の遊覧船は大正年間にはじまったと言われています。
その中の代表格といえば亀型の遊覧船だと思います。これは1977年に製造されたもので、強化プラスチックを使っています。全長は約25メートル、重さ約150トンで時速約20キロで進むことが出来ます。
亀型の遊覧船は実はあるようでなかなかないものだったりするらしいです。なんでも諏訪湖の遊覧船を参考に1984年に作られた猪苗代湖の遊覧船と全国で2隻だけの存在とか。
写真の竜宮丸とすわんは双泉の宿朱白船舶課が運行。

外来魚

オオクチバス

2000年前後の頃から諏訪湖でもオオクチバス(通称ブラックバス)やブルーギルといった外来種が見られるようになってきました。これらの魚は他の魚の卵や、魚自身、エビ、ヤゴやトンボといった昆虫などを食べ、またその食べる量が多い事から、既存の生態系を破壊してしまうと言われています。

2006年5月28日に富部船着場にて下諏訪町第10区分館主催のブラックバス退治体験会が行われました。その際2種類の魚のフライを食べ比べ、どちらが美味しいかというのをそれぞれ書いてもらいました。その結果、35cm級の鮒と比較し4対15という圧倒的大差でブラックバスの方が美味しいという判断でした。ブラックバスは美味しくないという印象がありましたから、この結果にはちょっと驚きました。ただ、この結果は今後の対策に対しての1つのストーリを示してくれているのでは思います。

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