諏訪地方は長野県つまり昔の信濃の国に属しています。そこで、このページでは、諏訪も含めた信州つまり長野県全域について色々と書いていきたいと思います。

 長野県は本州で3番目の大きさを誇る県で、南北に長く、地方によって色々と特色があります。北信は新潟や北陸と近く、中信というか諏訪の辺りは東京に近く、南信は名古屋に近いという感じになります。なので、諏訪の立場からいうと北信越(北陸、長野、新潟)というのは違和感を覚えますが、長野市のあたりから見ると極々普通の事なのでしょう。

 律令時代の東山道・信濃國の領域がほぼそのままの形となっている現在の長野県。しかし、幕末時に松代藩、飯山藩、岩村田藩、須坂藩、田野口藩、上田藩、小諸藩、松本藩、高島藩、高遠藩、飯田藩の11の藩及び幕府天領などが存在していました。それが明治4年7月の廃藩置県の際に12の県になり、、同年11月に改めて長野県と筑摩県の2つに再編されました。明治9年(1876)8月に長野県となりました。

 昭和23年1月14日に長野市にあった長野県庁別館が火災の為、全焼。それをきっかけに再び分県運動が盛り上がりを見せました。

 現在の長野県の県歌『信濃の国』は長野県師範学校の教師だった浅井洌の作詞により、明治32年(1899)に小学校唱歌として発表されたのがはじまりです。
 昭和43年(1968)5月20日に正式に県歌として制定されました。

 ちなみに。信州は、北海道に次いで温泉の豊富な県です。

善光寺
長野のシンボル、善光寺。その起源は古く少なくとも1300年前の白鳳時代から脈々と受け継がれています。御本尊の阿弥陀如来像は日本最古の阿弥陀如来像と言われています。天台宗の大勧進と浄土宗の大本願が中心ですがそれ以外にも40ほどのお寺が集まった物であり、善光寺そのものは特定の宗派には属していません。
平成15(2003)年3月30日に迫った牛に曳かれて善光寺参りの言葉通り数え年で7年に1度行われる善光寺の御開帳の際に本堂の前に立てられ、御本尊の阿弥陀如来から伸ばされた糸の先に繋がる大回向柱(えこうばしら)を曳く牛が前回に引き続いて更埴市屋代の村山義治さん(61)が飼育している牛に決まったとのことです。
松本城
黒鷺城とも呼ばれる黒い壁の天守閣は現存する物としては日本最古の天守閣ということで国宝に指定されています。

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