下諏訪町は長野県のほぼ中央、諏訪湖の北岸に位置する町で、人口は約25,000人、面積は約67平方キロメートル。10世紀頃の醍醐天皇時代に作られた和名妙によると信濃国諏訪郡名の中に土武郷という地名が現在の下諏訪町と考えられています。古くから諏訪大社の門前町として栄え、江戸時代には中山道と甲州街道の分岐点となり街道随一の温泉宿場町として栄えました。旧本陣跡は中山道随一の名園と讃えられた庭園があります。明治・大正時代は製糸の町として栄え、昭和30年代からは精密機械工業が発展しました。町の花はつつじ、町の木は桜となっています。
下諏訪町には諏訪大社の春宮と秋宮という下社2社があり、数え年で7年に1度、御柱祭が盛大に行われます。下社の御柱祭は平成22年の場合、山出しが4月の9日から11日、里曳きが5月の8日から10日に行われます。また春から秋にかけて町内各所で小宮の御柱祭が行われます。詳しくは諏訪大社御柱祭解体新書をご覧下さい。特に下社の山出し祭では全国的にも有名な木落しがあります。男見るなら7年1度、諏訪の木落し坂落とし。
下諏訪と言えば下諏訪温泉。神代の時代から続く中仙道でも最大の温泉地です。22ヶ所ある源泉は各温泉旅館は当然として町内には9ヶ所の公衆浴場で入ることが出来ます。詳しくは温泉地諏訪巡りをご覧下さい。
2009年11月24日に下諏訪町大社通り八幡坂脇の町有地、門前広場に9月から建設が始まっている食祭館の上棟式が井口社長や青木町長が参加して行われました。食祭館の建物は1月末までに完成し、2月20日にプレ・オープン、3月1日にオープンの予定です。
2010年2月20日に下諏訪町大社通りに門前ひろば食祭館がプレオープンしました。食祭館は下諏訪町有地に不動産賃借業井口が建設し、グループ会社のサンティアが運営します。同じ敷地には町が建築した足湯と情報提供システムなどがあります。
2010年2月の話題として追尾型太陽光発街路灯と綿の湯ゆけむり坂の写真は連々記にあります。
御柱関連の話題は諏訪大社御柱祭解体新書に集約しています。ニュースクリップは下諏訪町以外も含めはてなブックマーク - renyaのぶっくま〜く - suwaにしています。