[In English]

Watching of 『スタジオジブリ』 at renya.com

スタジオジブリとは

スタジオジブリとは、1985年の「風の谷のナウシカ」の公開後に株式会社徳間書店が中心となり株式会社として設立されたアニメーションスタジオの事です。「もののけ姫」の公開直前の1997年7月1日に徳間書店に吸収され、同社内のスタジオジブリ・カンパニーになりました。

2005年春にもスタジオジブリが徳間書店から分離独立し、株式会社スタジオジブリを設立するという話しが2005年2月12日に明らかに。スタジオジブリは昭和60年に徳間書店の子会社として発足したが、徳間書店の経営悪化などもあり平成9年に徳間書店に吸収され事業本部として活動、徳間書店は三井住友銀行の支援下での再建をヒット作による資金面で支えてきた。しかし再建の目処が立ってきたことから、スタジオジブリの分離が可能に。新会社の資本金は1000万円を予定。鈴木敏夫本部長が社長となり、宮崎駿監督と高畑勲監督も取締役に就任する見込み。新会社は過去にジブリが政策した作品も含めた営業権を徳間書店から譲り受ける。譲渡額は100億円から150億円の見込み。その為の資金は東宝、日本テレビ放送網、電通、博報堂DYなどに要請する方針。

ジブリというのは、イタリア語でサハラ砂漠に吹く熱風の事です。また宮崎氏が好きなイタリアの偵察機のニックネームでもあります。日本のアニメーション界に旋風を巻き起こそうという熱い思いで、設立の中心人物の一人である宮崎駿氏が命名したものです。ちなみに、ジブリとはアルファベットではGHIBLIと表記されますが、これは本来のイタリア語ではギブリと発音するのが正しい発音です。ジブリとは宮崎さんの勘違いから生まれた名称なのです。

スタジオジブリは東京都の小金井市にスタジオがあり、分業が一般的なアニメーション業界にあって、一つのスタジオですべての工程を手掛けたり、また、原則的には長編アニメーションのみを制作するなど、日本のアニメーション業界の中ではかなり特異な存在となっています。
そのスタジオですべてをまかない、主に長編アニメーションを作るところといえば、アメリカには老舗のディズニーや新興のドリームワークスなんかがありますね。

ジブリに系するものとしての長編劇場アニメーションは『風の谷のナウシカ』から『猫の恩返し』まで全13作が作られています。

個別作品紹介

基礎データの一覧はスタジオジブリ全作品紹介をご覧ください。
2001年6月14日にEnglish Versionも作ってみました。

借りぐらしのアリエッティ

2009年12月16日に東宝はスタジオジブリによる2010年夏に全国公開予定の最新版劇場アニメ「借りぐらしのアリエッティ」の制作を発表。1996年にジブリ入社の36歳、米林宏昌氏が初の監督を務める。イギリスのメアリー・ノートンによる児童文学「床下の小人たち」を原作に宮崎駿氏が企画と脚本を担当する。

2010年2月5日の崖の上のポニョ直前スペシャルで発表された公開日は7月17日。 主題歌アリエッティズ・ソングを歌うのはフランスのハープ奏者セシルさん。 14歳の小人の少女、アリエッティは志田未来。 12歳の少年、翔の声は神木隆之介。

崖の上のポニョ

banner

ゲド戦記

ハウルの動く城

2002年8月2日の井上直久氏の日記によると宮崎監督の新作というのはなんとハウルの動く城ということのようです。どっ、どうなっているのでしょうね^^;。

2002年7月14日の午後1時30分から2時55分にかけて日本テレビ系列で猫の恩返し公開スペシャル〜今年の夏もジブリが世の中騒がせます〜が放送されました。
ジブリニュース(4)として鈴木プロデューサから重大報告がありました。というのは、2002年8月1日から半年間会社を閉じることにしたという物です。走り続けてきたから1回ストップしようよということで、この間は他のスタジオで仕事をするもよし、海外で勉強するもよし。ということです。ただし、2003年2月1日には元気に戻ってきてくれよということです。そして、この日から宮崎駿監督の新作の制作に入るということです。しかしこの段階ではまだタイトルなどは明かせないとのこと。

2002年4月21日に米国サンフランシスコで開催されたSan Francisco International Film FestivalにおいてSpirited Awayのプレミアム上映会が行われその中で宮崎監督の次回作の話しが出ました。それによると宮崎監督の作品はこれから3作の長編映画を作りたいとしていてその内の1作は『毛虫のボロ』とのことです。もちろんこれが2004年公開の作品かどうかは現段階ではわかりません。

2002年4月6日の午後11時15分から45分間に渡ってNHK衛星第2放送で放送されたシネマ・パラダイスに鈴木敏夫プロデューサが登場し、色々な話題が飛び出しました。その中で宮崎監督の次の作品も作るべく一生懸命やっていますという話しが最後にありました。

2001年12月27日に行われた第26回報知映画賞の受賞式で鈴木プロデューサが既に準備に入っていると語りました。
なんでも衣食住などの生活の根幹をテーマにしたものを作りたいとのことです。

2001年11月13日に東京の帝国ホテルで行われた千と千尋の神隠しの興行収入の日本映画新記録に関する記者会見において2004年に次回作を公開できたらと語ったそうです。ただ、監督として参加するかどうかはまだ決めかねているとも語っています。

2002年9月22日の段階では鈴木プロデューサは今後は蝦夷を舞台にしたチャンバラをやりたいらしいと語っているとのことです。

監督については色々な噂がありますが、まだ正式な発表はないと思います。

2001年11月の段階で主に第1スタジオで制作中の作品が『ハウルの動く城』です。
監督は細田守氏。
細田氏は今までにデジモンアドベンチャー〜ぼくらのウォーゲーム〜などに参加しています。
魔法使いハウルと火の悪魔―空中の城〈1〉
プロデューサは高橋望氏。1960年、東京都生まれ。

千と千尋の公開を直前にひかえ、ジブリとしてはその次回作として2002年の夏に1時間40分の長編及び1時間10分の中編のファンタジー作品の同時公開を目指しているそうです。長編の監督は東映アニメーションからの出向者の細田守(33)氏がつとめるそうです。細田さんの名前はかなり前の段階からでていました。[07/27/01]

猫の恩返し

Watching of Neko no ongaeshi at renya.com

2001年11月の段階で主に2000年2月に完成した第3スタジオで制作中の作品が『バロン』(仮題)です。この作品は1時間強の劇場公開作品で、名前から推察されるように『耳をすませば』と同じ世界観の中の物語で柊あおいさんが原作の漫画も書いているというジブリでは初の原作ありきな映画となっています。
監督は森田宏幸氏。
プロデューサは高橋望氏。1960年、東京都生まれ。

千と千尋の神隠し

Watching of Sen to Chihiro no Kamikakushi at renya.com

平成13年(2001)の夏に公開され現在大ヒット中の最新作が『千と千尋の神隠し』"Spirited Away"です。

ホーホケキョとなりの山田くん

平成3年10月から平成9年4月まで朝日新聞で連載されていた、いしいひさいち氏の4コママンガ「となりの山田くん」をデジタル技術を駆使してアニメ化。監督は「蛍の墓」や「平成狸合戦ぽんぽこ」などの高畑勲氏。
この「となりの山田君」に米国ウォルト・ディズニー社が出資。これは同社にとっては日本のアニメに対する初めての出資。制作費16億円は、ディズニーが10パーセント、徳間書店が50パーセント、日本テレビ放送網30パーセント、博報堂10パーセントづつ出資しました。

配給収入は約7.9億円と制作費の半分以下にとどまりました。
魔女の宅急便以来、配収が20億円を下回ったのははじめてのことです。
この作品は松竹が中心となって配給を行い、宣伝は博報堂が担当しました。

もののけ姫

1997年に公開され、超大ヒットを記録した映画が『もののけ姫』"Princess Mononoke"です。

耳をすませば

近藤喜文監督によるちょっぴり甘くちょっぴり切ない青春ストーリー、それが耳をすませばです。

平成狸合戦ぽんぽこ

2002年12月18日にDVDが発売になります。
発売元はいつもの通りブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント、価格は4,700円。

海がきこえる

平成15(2003)年8月8日に海がきこえるのDVDが発売されます。

おもひでぽろぽろ

1999年7月2日にビデオが発売され、同時に金曜ロードショーで放送されました。

2003年3月7日にDVDが発売になります。

紅の豚

元々は機内上映用の短編映画として考えていたものがどんどん構想が膨らんでついには劇場公開にまでのぼりつめた意欲作。

2002年3月8日に紅の豚のDVDが発売される予定です。

魔女の宅急便

13歳の少女キキは魔女になるために一人で生まれた町をでて一年間他の町で過ごさなければななりませんでした。お供は黒猫のジジとラジオ、そして笑顔。
海の見える町で暮らし始めたキキだけど、出来ることと言ったら飛ぶ事だけ。母や他の魔女の様に薬を作れるわけでも占いが出来るわけでもない。そんなキキが考えついた仕事は空飛ぶ「宅急便」でした。

この作品から日本テレビが制作に参画するようになり、興行成績も従来の作品の4倍となりました。
この作品の後ジブリは固定給制度をスタートさせました。

火垂の墓

1988年公開の高畑勲監督作品。
昭和20年の神戸はB29による空襲で一面の焼け野原でした。2人だけになってしまった14歳と4歳の兄妹はそれでも懸命に生きようとした。

徳間書店と新潮社の共同プロジェクトとなりました。

となりのトトロ

ジブリのシンボル的存在であり、アニメーション作家としての宮崎駿の名をそしてスタジオジブリの名を一般にも浸透させ不動のものとした作品。
都会から田舎へと引っ越したサツキとメイの日本のどこかにまだいるかもしれない変な生き物との触れ合いを描いた作品。それがとなりのトトロです。

天空の城ラピュタ

空想といわれていた空に浮かんでいる宝の島ラピュタ。そのヒントとなる飛行石を持つ少女シータと鉱山で働きながらラピュタを見つける日を夢見る少年パズー。そこに軍隊や海賊などが入り乱れて、やがてたどり着いたラピュタは本当に宝の島なのだろうか。
数少ない本当の意味で少年が活躍する、そしてわくわくする冒険活劇ファンタジーはスタジオジブリ作品としての第1弾。

ラピュタとは、英国のジョナサン・スウィフトの小説「ガリバー旅行記」の第3部で出てくる伝説の空に浮いている島の事。
その昔ラピュタ人だけが石の中に含まれ、空気に触れるとただの石になってしまう飛行石を結晶化する力を持っていた。そして、大きな飛行石を作り、島を空中に浮かべた。

風の谷のナウシカ

スタジオジブリの原点ともなっている不朽の名作、それが風の谷のナウシカです。
製作はトップクラフトでジブリではありませんが、ジブリの系するとして、取り上げています。

関係者紹介

ここではスタジオジブリの関係者及びスタジオジブリ作品に関係する人を取り上げています。

宮崎駿

宮崎駿氏は昭和16年(1941)1月5日、東京都墨田区生まれ。
1979年に公開されたルパン三世・カリオストロの城で劇場長編映画の初監督をつとめました。

1956年8月に設立された東映動画により1958年10月に公開された日本初のカラー長編アニメーション『白蛇伝(はくじゃでん)』公開された時に高校3年生だった宮崎氏は大きな衝撃を受け、アニメーターを志すようになりました。

氏の著作権・資産管理会社として二馬力があります。社長は氏の奥方です。1997年にスタジオジブリが徳間書店に吸収された際に徳間書店の15パーセントを所有することになった大株主となっています。

2001年7月にNHK教育テレビのETV2001において宮崎駿・いきる力を語るが放映されました。放映時間は午後10時から10時45分です。
7月2日(月)に第1回生きる力を取り戻すために。精神分析医の小比木啓吾。
7月3日(火)に第2回少女の可能性。作家の吉本ばなな。

時代を翔る アニメ監督 宮崎駿
北海道新聞による連載インタビュー記事。[07-15-01]
風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡
雑誌のCut及びSIGHTに掲載されたインタビュー記事のノーカット版。12年間の中の5本のインタビューが掲載されています。初版日付は2002年7月19日。
2002年7月22日に近所の本屋で見かけて購入。
虫眼とアニ眼―養老孟司対談宮崎駿
町作りなどの対談集。

高畑勲

高畑勲氏は1935年10月29日、三重県生まれ。1959年に東映動画入社。

鈴木敏夫

鈴木敏夫氏は1948年、愛知県生まれ。1972年に徳間書店に入社。日本初のアニメーション専門雑誌「月刊アニメージュ」の初代編集長。
1981年に宮崎駿特集を企画。1989年、スタジオジブリに移籍。

2001年夏の段階の役職は株式会社徳間書店常務取締役兼スタジオジブリ事業本部本部長となっています。

高畑勲、宮崎駿両監督をはじめとしてスタジオジブリには多彩な才能が溢れています。しかし、その才能も鈴木敏夫という男の存在がなかったら、ここまで開花する事はなかったかもしれません。鈴木敏夫こそがスタジオジブリ最大の才能なのかもしれません。

2002年2月6日に青山ダイヤモンドホールで授賞式が行われた第7回AMD Award/Digital Contents of the Year'01で株式会社徳間書店・スタジオジブリ事業本部の鈴木敏夫氏が功労賞(The Life Achievement Award)を受賞しました。

第21回藤本賞を受賞しています。

近藤喜文

近藤喜文氏は1950年3月31日、新潟県生まれ。1968年にAプロダクションに入社し、巨人の星やど根性ガエルなどの原画を書く。1977年に日本アニメーションに移籍し、1978年未来少年コナンや1979年の赤毛のアンなどの製作に参加。1980年にテレコムアニメーションに移籍。1982年の名探偵ホームズでキャラクターデザイン及び作画監督を担当。
フリーを経験した後、1990年にスタジオジブリに参加し、1988年の螢の墓、1989年の魔女の宅急便、1991年のおもひでぽろぽろ、1992年の紅の豚、1994年の平成狸合戦ぽんぽこなどに原画や作画監督で参加。
1995年、耳をすませばで監督。
1997年にもののけ姫の作画監督。
平成10(1998)年1月21日午前4時25分、解離性大動脈りゅうのため東京都立川市の病院で死去されました。享年47歳。心よりご冥福をお祈りいたします。

1968年に映画館で太陽の王子ホルスの大冒険を見て感動したと言われています。高校を卒業後上京し漫画家を目指し石ノ森章太郎の門を叩くが、違和感を感じ、東京デザインカレッジに。そこで大塚康生氏に紹介され出来たばかりのAプロダクションに入り、巨人の星の動画を担当。1年後には19歳で原画に昇格しました。その後ルパン三世の制作に参加。スタッフ入れ替えの際に高畑そして宮崎と出会う。1979年Aプロダクションをでた後赤毛のアンでキャラクターデザイン及び作画監督を務める。

出版物としてふとふり返ると―近藤喜文画文集があります。

久石譲

久石譲氏は1950年、長野県生まれ。
国立音楽大学作曲科に在学中より作曲科としての活動を開始。
風の谷のナウシカ(1984)以来となりのトトロ(1988)、もののけ姫(1997)などほとんどの宮崎アニメの音楽を担当するとともに北野たけし監督作品菊次郎の夏(1999)など多くの映画音楽を手がけ、今や日本の映画音楽界の代表的存在。。
長野パラリンピックの祭典の総合プロデュースなども手がけています。

2001年7月11日に映画初監督作品『カルテット』(Quartet)の完成披露試写会が都内にて行われました。
2001年10月6日に松本テアトル銀映2(Add:長野県松本市城東1-1-4、Tel:0263-35-4001、Time:11:50,1:53,4:00,6:10)など全国66会場で公開されました。渋谷東急3にて舞台挨拶がありました。

2002年3月24日の午後7時から9時にかけてテレビ朝日系列で放送されたキャノン・スペシャル『ガウディ・ミステリー』スペインはバルセロナにあるアントニオ・ガウディ設計の未完の教会サグラダ・ファミリアは楽器であるということを証明しようという番組に登場しました。

2002年1月7日に放送された長野放送(NBS)スーパーニュース内で新春インタビューということで長野県の縁の人へのインタビューが行われ、その第1弾として久石譲氏が登場しました。
中野市出身の作曲家で音楽家。
千と千尋の神隠しの映像をバックに宮崎駿監督作品や北野武監督作品の音楽を担当した事を説明。続いて2001年に公開された初監督作品カルテットの紹介もされました。ちなみに、カルテットのVHS及びDVDが2002年3月25日に発売されるとのことです。
今までに18枚のソロアルバムをだしている氏は本物の音楽、存在感のある音楽を模索しています。つまり自分がいいと思える音、納得する音楽かどうか。
映画音楽の際は監督が考えている世界をどうくみ取るか。少なくとも監督がやりたいと思っている世界を理解することが大事だと考えている。
音楽を生み出すというのは地獄を見るような作業。
1998年には長野パラリンピックのイベントの総合プロデューサを担当。テーマソングのAsian Dream Songなどはアジア人、日本人ということをとても意識。足掛け3年をかけたこの作業は自分でとても納得している。その結果全国ツアーなどをやっても長野はさけているくらい。
今年は音楽をしっかりやらないといけない年ということで原点に戻り3月にはピアノだけのソロアルバムをだしたいとも。
ちなみに翌日はタレントの乙葉さんでした。

amazon imageVHS:Quartet(カルテット)
2002年3月25日に発売されたカルテットのビデオ。値段が16,000円とかなり高めとなってしまっています。
amazon.co.jp imagesDVD:Quartet(カルテット)
2002年3月25日に発売になったカルテットのDVD。
joehisaishi.com
宮崎アニメの音楽といえばこの人、久石譲(Joe Hisaishi)氏。その氏のオフィシャルウェブサイト。まめに更新されている日記のページがあります。[06-08-01=06-12-01]
カルテット オフィシャルページ
初監督作品、カルテットのオフィシャルサイトです。[09-09-01]

安藤雅司

安藤雅司(あんどうまさし)氏は1969年、広島県生まれ。1990年にジブリに入社し、おもひでぽろぽろに動画として参加。紅の豚、海がきこえる、平成狸合戦ぽんぽこ、耳をすませばで原画を担当。ジブリ実験劇場On Your Markではじめて作画監督、もののけ姫でも作画監督をつとめ、山田くんでは原画を担当。千と千尋の神隠しで再び作画監督を全うしました。

関連ニュース紹介

2002年7月22日に角川書店が大映を事実上買収することを発表しました。
角川書店が新しく100パーセント出資で作る角川大映映画に11月に大映の全事業の営業資産を譲渡する。譲渡金額は数十億円の見込み。

ビデオやDVDなどの関連グッズ発売情報
テレビ放送のリスト、GHIBLI on TV Watching at renya.com

2001年12月30日の午前10時51分から11時25分にかけて『パンダコパンダ』が2001年12月31日の午前11時3分から11時42分にかけて『パンダコパンダ・雨ふりサーカスの巻』がNHKの衛星第2放送で放送されます。

2001年12月30日の午前10時53分よりNHK衛星第2放送でBS冬休みアニメ特選としてパンダコパンダが放送されました。
おじいちゃんの法事で長崎へ向かうおばあちゃんを駅まで送ったとても明るく元気な女の子のミミちゃんは今日から1人暮らしです。おうちに帰ると出かけるときとは様子が違います。縁側には小さなパンダがいました。

2001年7月25日にカラオケ業界最大手の第一興商がレコード業界の老舗の徳間ジャパンコミュニケーションズを買収する事が決定しました。
五木ひろし(53)や吉幾三、岡本真夜(27)などの歌手や社員は残留の方針です。
買収にかかる費用は約21億円とのこと。
昭和40年(1965)2月に太平音響として設立され、数回の社名変更や合併を経て平成4年に徳間ジャパンコミュニケーションズとなりました。
昭和48年(1971)3月に設立された第一興商はカラオケ業界の最大手。業務用及びビックエコーブランドの通信カラオケ、直営店舗数も全国トップで100パーセント出資のガウスエンタテイメントというレコード会社の他に日本クラウンの大株主でもあります。

2001年6月下旬から風の谷のナウシカから千と千尋の神隠しまでスタジオジブリ劇場用長編全12作とテレビ用長編1作、計13作品の絵コンテ全集が順次発売されます。
まず、2001年6月28日にスタジオジブリ初期の作品が一気に4点が発売されます。
詳しい事は関連グッズのページをご覧下さい。

宮崎作品、大集合。
宮崎駿監督が関係した作品、全41作品が2001年6月16日から7月20日までの間に東京都目黒区にある東京都写真美術ホールで一気に上映されます。
1963年の『わんわん忠臣蔵』から1997年の『もののけ姫』まで『太陽の王子ホルスの大冒険』や『ルパン三世』『アルプスの少女ハイジ』『未来少年コナン』などのテレビアニメから『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』といったジブリ作品までが作品毎にわけられて上映されます。

  • SANSPO.COM
    ジブリ、チェコ映画に出資 宣伝・広告費でサポート

    徳間書店代表取締役社長の徳間康快(やすよし)氏が2000年9月20日午後6時17分、東京都内の病院で肝不全の為、亡くなりました。享年78歳。ご冥福をお祈りいたします。
    同氏は1921年神奈川県横須賀市生まれ。1954年に現在の徳間書店の前身である東西芸能出版社を設立。一代で複合メディアグループである徳間グループを築き上げました。
    株式会社徳間書店の75パーセントを所有していました。

    1999年5月4日午後4時から1時間日本テレビ系列で「ジブリ秘話!トトロから今夏公開となりの山田くんまで」が放映されました。鈴木プロデューサを中心に話しをすすめ、ジブリの大きな一面を現しました。

    2002年7月14日の午後1時30分から2時55分にかけて日本テレビ系列で猫の恩返し公開スペシャル〜今年の夏もジブリが世の中騒がせます〜が放送されました。
    この中でジブリニュース(3)としてジブリが海外映画を提供する事が紹介されました。その初作品はチェコとイギリスの合作映画であるダーク・ブルー。宮崎監督も大好きのイギリスと共にナチスと戦ったチェコ人パイロットの話とのこと。

    ジブリ美術館

    2001年10月1日にオープンする予定の三鷹の森ジブリ美術館の入場チケットはすべて予約制となり、9月15日の午前10時からローソン系列で販売されることになりました。
    日時指定のチケット代金は税込みで大人及び大学生が1,000円、高校生及び中学生が700円、小学生が400円、4歳以上の幼児が100円となっています。

    1999年4月6日、スタジオジブリの美術館を三鷹市が誘致したと発表されました。およそ25億円の費用は全額スタジオジブリ側の負担とのこと。
    2000年3月4日にジブリ美術館の起工式が行われました。
    2001年6月30日に竣工しました。
    2001年9月29日に美術館を運営する財団法人徳間記念アニメーション文化財団の設立総会が行われました。
    2001年10月1日のオープン

    三鷹の森ジブリ美術館は宮崎氏の子供のための空間という思いが随所に生かされた美術館となっています。
    屋上には5メートルのロボット兵が守り神としています。

    短篇映画として『くじらとり』という映画が上映されています。
    監督は宮崎駿。中川季枝子と大村百合子の『いやいやえん』という児童文学の中の1編を映画化。

    宮崎氏が監督をつとめて、『コロの大さんぽ』を現在製作中。これは約15分のオリジナルストーリー。
    また2002年の夏には『メイと子ネコバス(仮)』が上映予定です。

    2002年1月3日より『コロの大さんぽ』の上映がスタート。

    2001年11月15日の日記によると宮崎監督はイバラードの井上先生にも壁に何か書いてくれませんかという話しをしているとのことです。出来たら、ぜひみたいな〜。
    50号くらいで耳をすませばをふまえて上昇気流IIとの事です。
    2001年12月から書き始め、上京するたびに書きつづっていき、2002年4月15日に完成したとのことです。

    美術館内のショップはマンマユート団(MAMMA AIUTO)といい、株式会社マンマユート団が運営しているようです。

    美術館オリジナル短編映画「くじらとり」が、毎日映画コンクールの大藤信郎賞を受賞しました。[02-15-02=02-24-02]

    2002年7月14日の午後1時30分から2時55分にかけて日本テレビ系列で猫の恩返し公開スペシャル〜今年の夏もジブリが世の中騒がせます〜が放送されました。
    この中でジブリ美術館からの最新情報として2001年10月に開館した三鷹の森ジブリ美術館に新しく図書閲覧室トライホークス(TRI HAWKS)が開設したとのこと。ここではジブリ作品関連の書籍の他宮崎監督や美術館が推薦する本が置かれていて、気に入れば購入も出来るとのこと。また複製のセル画がたとえば海原電鉄が35,000円、カントリーロードが45,000円という値段で他にもナウシカの蟲の標本などのオリジナルグッツが販売されているということです。
    宮崎吾郎監督より従来3ヶ月分を一斉に発売していたチケットが8月分から毎月10日に翌月分を販売する方式に変更になりました。7月10日に8月分が発売されましたが、テロップにて8月分は売り切れたという情報が流れました。

    STUDIO GHIBLI HOMEPAGE!!
    株式会社ムゼオ・ダルテ・ジブリという平成10年(1998)10月に設立された三鷹の森ジブリ美術館(三鷹市立アニメーション美術館)の事業運営を行うための会社のウェブサイト。[06-10-01]

    renya.com[Home Page]
    Copyright (C) 1997-2010 by renya.com All rights reserved.
    e-mail address:info@renya.com